手はつながれたまま(アベ穹)

「ごめんなさい、今日予約がいっぱいで! 一人部屋しか通せないのですけど、大丈夫ですか?」
 申し訳なさそうに宿の店主に言われ、穹もアベンチュリンもしばし考え込む。
 ふたりでしっかり食べて飲んで遊んで笑って過ごした一日。疲れ切った身体は早急な休息を求めていたが、空きのある宿がなかなか見つからなかった。ようやくたどり着いた宿がここである。ここを逃せばあとはいつ見つかるかもわからない。できればゆっくり眠りたいが、仕方ないだろう。同じ思考に行きついたようで、ふたりは視線を合わせて頷きあう。
「構わないよ。通してもらえるかな?」
 アベンチュリンの言葉に店主は目を丸くした。
「え、でも、寝台もひとつなのですけど……何でしたら布団も持ってはいきますけれど、部屋の大きさとしても敷けるかどうかも……」
「そうなのか……それは」
「ああ、それは大丈夫」
 穹の言葉を遮ってアベンチュリンは言い、おもむろに彼の手を握った。戸惑う穹をよそに、互いの指を絡ませて、しっかりと繋がれたそれを店主へと見せつける。
「こういうこと、だからね?」
 そしてアベンチュリンはウインクしてみせた。いや、どういうことだよ、と穹は言いかけたのだが、それより先に店主はアベンチュリンが言わんとしていることを察して、まあ! と声をあげた。その頬がぽっと赤く染まっており、穹はますます困惑する。
「え? な、何?」
「す、すみません! 野暮でしたね! すぐ部屋の準備しますね!」
 そう言って慌ただしく準備をしにいく店主を見送りつつ、穹はこそっとアベンチュリンに尋ねる。
「どういうことなんだ……?」
「おや、わからなかったかい? マイフレンド。いや、今はダーリンかハニーか、あるいはベイビーか……そんな言葉の方がふさわしいかな」
 ますます困惑を深める穹に、アベンチュリンは口元に笑みをのせて顔を寄せてくる。近い、と逃れようとするが、そういえば手は未だ繋がれたままだ。空いているもう片方の手で抵抗すると、アベンチュリンは存外素直に離れて説明してくれる。
「まあ、言ってしまえば、僕たちがただならぬ関係……恋人関係だと思わせたのさ」
「恋、人、関係? え? ええっ、な、なんで……」
 思いがけない言葉だったのか、穹は混乱し始めたようだ。恋人、誰が、誰、なぜどうして? じっと見つめてくるな。何が何だかわからなくなる。そんな言葉が聞こえてきそうな狼狽えぶりに、アベンチュリンはおかしそうに笑う。
「いや、その、別に、そこまで言わなくてもよかったんじゃないか……!?」
「そうかもしれないね。けれど、泊まることを押し切るにはそうした方がいいかと考えたんだ。もしかすると、あの店主が断る可能性もあったかもしれない。するとまた宿探しだ。僕も君も早く休みたいと思っているはず。確実に迅速に寝ることを考えた結果がこれ、というわけだ。わかってもらえたのなら嬉しいな」
 アベンチュリンがそう言い終えて、ぎゅうと手を握ってみせるが、穹は納得がいかないらしく、握られた手をぶんぶんと動かして振りほどこうとし始めた。
「ははは、意外と意固地、だねえ……」
 そんな反応をされてしまうと、かえってほどかれまいとなるだけなのに。
 振りほどこうと力を込める穹。離すまいと力を込めるアベンチュリン。戻ってきた店主は、そんなふたりの無言の攻防戦を目にし、きゃあ、と黄色い声をあげた。

 やがて通された部屋は、確かに寝台と机が置くのが精一杯、といったところだった。とはいえ寝台は予想していたよりも大きい。試しにふたりで寝転がってみるが、多少狭くとも寝れないわけではなかった。問題はない。ちょっと互いの身体がくっつくだけで。そこがなんだかくすぐったくて、なんだか熱くなるかのような感覚になるだけで。
「いや問題あるじゃん!」
「大丈夫大丈夫」
 そう言って起き上がった穹をアベンチュリンは手を引いて寝台に戻してやる。そして布団をかけ直してやり、ぽんぽんと軽く叩いてなだめ始める。
「寝てしまえば気にならないよ。さあさあ、早く寝よう」
「寝れるわけないだろ!」
「結構神経質なのかな、星核くんは。いつもはどうやって寝ているんだい?」
「え……わりと列車のその辺で寝てる。だいたい誰かが毛布とか布団とかかけてくれる」
「じゃあ、こんな状態でも眠れるんじゃないかな」
「誰かと一緒にくっついて寝たことはないって」
「へえ……僕が初めてってことかな?」
「言い方……」
 もう何を言っても変わらない気がして、穹は抵抗をやめる。それに気づき、子どもを寝かしつけるようにアベンチュリンが撫でてくる。意外にも心地よいそれによってか、だんだんと眠気がやってきた。うとうとと、徐々に意識がとけはじめて、穹は目を閉じた。いい子でおやすみ、なんて言葉が聞こえてきたあたりで、穹は眠りについた。

「おや、もう寝たのかい」
 そんなつぶやきも彼にはもう届かないだろう。電池が切れたように、一気に眠りについた彼をうらやましく思う。アベンチュリンもまた疲れも眠気も感じてはいるが、どうにも寝つけずにいた。もとより寝つきも寝起きもいい方ではない。隣で眠る彼は正反対。寝つきも寝起きもいいのだろう。朝は君に起こされるのかな、と考えつつ、アベンチュリンは無防備な寝顔を指でつついた。
「君はどんな夢を見るんだい、星核くん」
 心の底から望む幸せな夢か、逃れられぬ過去を映した悪夢か、すべてを取り込んだ訳のわからぬ滑稽な夢か。星核を抱えながら彼はどんな夢を見る。やがて眠る彼がふふ、と笑みを浮かべたのが見えた。なるほど、幸せな夢を見ているらしい。
「うらやましい。ひとりだけ幸せな世界に浸っているのかい。つれないね」
 どうせなら一緒に連れて行ってくれよ、とアベンチュリンは穹の頬から手を離し、布団から出ている彼の手を掴む。そして店主に見せつけたときのように指を絡めて手を握る。てっきり冷たいと思っていた穹の手は意外にも温かかった。暖炉の前にいるかのような心地よさを感じてしまう。そのせいか徐々に眠気が強くなってきている。瞼が落ちて、あくびが漏れる。
 こんなはずではなかったのに、君というひとは。
 抗議するように手を握れば、眠っているはずの穹に握り返されてしまい、アベンチュリンはついに観念して眠りについた。
 
 夢を見た。
 ひとり残る夢を見た。
 倒れるひとびと、倒れぬ自分。どこまでも敗北から逃れられる自分だけが立っている。倒れるひとびとの中には立ち上がろうしても立ち上がれやしない。期待もしていない。だから彼らから背中を向けた、そのとき、名前を呼ぶ声がある。振り返れば彼が立ち上がっていて、こちらに向かって歩いて、手を掴んで、そこから連れ出してくれて、もう一度。

「アベンチュリン!」
 名前を呼ばれて目を覚ます。視界にはこちらを覗き込む穹の顔。まだ部屋は薄暗い。あまり時間は経っていないのだろうか。
「大丈夫か? すごくうなされてたけど」
「うん……ああ、大丈夫」
 アベンチュリンが気のない声で返事をした。直後にぎゅうと手を握られた感触があって、視線をそちらへやると、ふたりの手がつながれたままなのが見えた。
「外さなかったのかい」
「え?」
「手」
 そう言ってアベンチュリンが握り返してみせると、穹は視線をそらしながら答えた。
「ほどけなかったし、なんかほっとけなかったし……」
「そう……」
「なあ、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫、だよ」
 彼がつないでくれたままの手を自分の頬に寄せた。温かなそれに安堵の息をつきながら、アベンチュリンはつぶやいた。
「……君のおかげでね」

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