『やあマイフレンド、ご機嫌いかがかな』
『久しぶりだな。まだ仕事は忙しいのか?』
『少し大きな案件があってね。もう少しで手が空くとは思うけど。君の開拓の旅はどうだい?』
『しばらく依頼をこなしてる。今日も依頼が一件入ってる』
『その依頼人は女性?』
『そうだけど、どうかしたのか?』
『女性からの依頼が多いと思ってね。同性の方が何事も頼みやすいものだと思ったけど』
『自分じゃどうにもならないから頼んできてるんだろうなって印象がある。それに今日の依頼人は特別なんだ。ちょっと危なっかしくてほっとけなくて、定期的に顔出さないといけない。俺にも責任があるから』
『そうか。それは大変だね。じゃあ、そろそろ出かけるよ。また連絡する』
『ああ、仕事頑張ってくれ』
今度はいつ会えるだろう。
そんなことを思いながら、穹はスマホを閉じた。
会えれば嬉しい。会えなければ寂しい。けれどそれでいい。
これは穹の穏やかな片思い。そっと秘めてゆっくりと育んでいる恋情。
まさかそれをあの日、強引に引きずり出されるとは思わなかったのだ。
人里離れた一軒の住居。穹がその重いドアを開けると、依頼人の少女がぱっと顔を上げた。
「あ、灰色のおにいさん!」
「久しぶり、今日の依頼内容を確認したいんだけど……聞くまでもなさそうだな……」
駆け寄って来た彼女の手には湯気の出ている茶碗。その中にはきっとできたての薬が入っている。色はブルーかピンクか、はたまた七色か。見ない方がかえっていいのかもしれない。ため息をつく穹に、彼女は笑顔で茶碗を差し出してきた。
「今日も薬の試飲です」
「またか……この前の『悪鬼撃退! 胃腸大爆発!』はどうなった?」
「その後完成して、護身用として売れに売れてます。これもおにいさんのおかげです」
ありがとうございます、と彼女は一礼した。若くして薬の調合に長けた彼女だが、世渡りがあまりにも下手だった。生活に苦しむ彼女を見かねた彼女の友人と穹の提案で、同業者との差別化をはかった結果、ギリギリ法に引っかからない妙な薬ばかりを生み出すようになっていった。それはそれで固定客を掴み、成功してしまっている。結果的にそんな方向に導いてしまった穹は、責任を感じ、こうしてたびたび力を貸しているのだった。本当に危ない薬を生み出さないように、常に警戒をしているのである。
茶碗を受け取り、穹は中に入っている薬を睨む。花のような、濃厚な甘い匂いが鼻につく。
「また危ない薬じゃないだろうな」
「大丈夫です。今日はいい薬なので」
えへんと胸を張っているが、そういうときに限って彼女は危ない薬を作り出す。
「心配になるな……」
「大丈夫ですよ。さっそくお願いします。飲んだときの感覚とか味とかを聞かせてほしいです」
深呼吸を繰り返し、穹は一気に薬をあおった。濃厚な匂いが鼻にも口の中にも充満して辛い。味は砂糖の塊に花の蜜や蜂蜜をたっぷりかけたような甘さだった。薬は最初こそさらりとしていたが、舌に触れた瞬間、どろりとしたものへと変わる。飲み込もうとするとぴたりぴたりと喉に張りつくようにくっついて、流されまいと抵抗しているかのようだった。それをなんとか飲み込み、穹は咳き込んだ。少女から水を差し出された穹はそれを一気に飲み、口の中に残った甘さや感触を流す。
「どうですか?」
「味は甘いけど、まあ大丈夫な範囲。飲みにくさはトップクラスだ。スライムか何か、粘着性のある生き物を飲み込んだみたいな感じ……」
「む……飲みにくさは改善しなきゃいけないですね……ありがとうございます」
「ところで、この薬の効果はどんな感じなんだ?」
水を飲みながら聞くと、少女が首を傾げた。
「あ、言ってませんでしたっけ? 惚れ薬です」
「ごっほ!?」
穹は飲んでいた水を吐き出した。
「嘘です、媚薬です」
「もっと悪くなった!? お前、何てもの飲ませるんだ!」
「ご安心ください、条件つきです。おにいさんがわたしに惚れることも発情することもないと思います」
差し出された布で口元や机を拭きながら穹は問う。
「なんでそう言い切れるんだ?」
「この薬の条件、飲んだ人が思いを寄せる人と至近距離にならない限り、媚薬の効果が出ないので。おにいさんはわたしのことそういう意味で好きじゃないですよね? わたしも亡くなった夫を今もこれからも思い続けるので条件は満たされません。安心でしょう?」
「それは……安心だな……?」
「そうでしょう? 万が一効果が出ても、まあ、一発ドンッするか、何もせずに一日経つかで効果はなくなるので大丈夫ですよ」
「一発ドンッて何!?」
「あらあら、とぼけないでください、予想はつくはずですよ? わたしはこの薬を、片思いに悩む人の背中を押すのに使いたいんです」
「余計なお世話な気がする……」
「ちょっぴりそう思ったので、おにいさんで試すことにしました」
「……鬼か」
「うふふ、要は一日何事もなく過ごせればいいのですよ」
少女は笑う。可憐に無邪気に、けれど瞳をぎらつかせて。
「さあスタートです。あなたの片思いをいつまで続けられるか、試してみましょうね」
毎回のことながら、また、とんでもない依頼を引き受けてしまった。
穹は街に出て、口直しのココアを飲みながらひとりたそがれていた。とはいえ穹が引き受けなければ、彼女の友人が試飲役になっていただろう。善良な一般人を巻き込んではいけない。
(それにしても媚薬……)
媚薬は実在していたんだな、としみじみ思う。たまに路地裏でニヤニヤと笑いながら売りに来られたこともあったが、必要もないし怪しいので相手にしなかった。だが彼女の場合は調合の腕は確かだ。確実に媚薬の効果はあるだろう。とはいえ。
『飲んだ人が思いを寄せる人と至近距離にならない限り、媚薬の効果が出ないので』
彼女の言葉を信じるならば、穹の片思いの相手と会わなければ、会ったとしても至近距離にさえならなければ大丈夫なのだろう。
(まあ、仕事で忙しいって言ってたし、こんなところで会うなんてことないだろう)
一日経てば効果も消える。なんだ意外と大丈夫じゃないか。安心して穹がココアをもうひと口飲もうとしたときのことだった。
「おや、奇遇だね、マイフレンド」
……どうか聞き間違いであってほしい。
ぎぎぎぎ、とぎこちない動きで顔をあげると、そこには今最も会ってはならない相手がいた。お前は仕事じゃなかったのか。
「……アベンチュリン」
「たまたま近くに来たから寄ってみたんだけど、会えてよかったよ」
そう言って微笑む彼と穹の視線がぶつかった瞬間、穹の鼓動が不自然に高鳴った。咄嗟に胸を押さえると気遣わしげにアベンチュリンが駆け寄り、穹の顔を覗き込んでくる。
「どうしたんだい? 顔色が悪いようだけど」
大丈夫かい、というその距離は、アウトだった。
ぱちんと何かが弾けた音が聞こえて、体温が一気に上がる。どくどくどくと脈は激しくなる。そして求め出す。目の前のひとが欲しい。愛が欲しいと身体の内側がうごめき出す。それをなんとか理性で抑えながら、穹はアベンチュリンを、片思いの相手を睨みつけた。
「……アベンチュリン」
「なんだい?」
「……今日ほどお前との再会を恨んだことはない」
「ええ……」
今日お前に会わなきゃ、平穏無事に一日が終わったのに!
そんな穹の脳内に依頼人の少女の声が再生される。
さあスタートです。
あなたの片思いをいつまで続けられるか、試してみましょうね。
そのまま会話をしているだけならまだよかったのかもしれない。アベンチュリンにココアを持つ手を触れられたのが、穹にとっては強い刺激になってしまった。
「う、ぐっ、ぅあ……」
地に膝をつき、苦しむ穹の姿ははたから見れば重病人だ。アベンチュリンはそれをほっとける性分ではないらしい。そんな彼に胸はときめくが、ときめくほどに毒を飲んだように苦しくなる。離れてくれ、という息も絶え絶えな願いもアベンチュリンは聞いてはくれない。
「とりあえず休める場所に行こう。宿を取っておいてるから……」
宿を取っておいてるから、という言葉に穹の脳内は素早くシミュレートを始める。興奮状態、片思いの相手、ふたりきり、求める心、絡めた視線と指先、交わされる言葉に、終幕の一発ドンッ。顔を真っ赤にした穹はぶんぶんと顔を横に振った。
「に、逃げろ、アベンチュリン。でないとお前が危ない……!」
「何の話……? ともかく宿に行こう。ここでは人目もあるからね」
「いや、ひとりで行ける……」
至近距離でなければきっと、彼と離れさえすればきっと反応は収まる。その可能性はある。だからひとりにさせてくれ、と思うのに、彼は穹を運ぼうとする。距離は離れるどころか密着である。死ぬ。ときめきで死ぬ。
「も、もう楽にしてくれ……」
「え……そんなに僕が嫌なのかい……?」
しょんぼりとする彼の言葉も否定できないくらい、穹は理性を働かせるのに必死だった。
欲しい、欲しい、欲しい、と本能が叫んでいる。耳を塞ぎたいほどの大声で脳内で喚き声をあげている。このままでは抑えるのにも我慢するのにも疲れ切って、悲劇が起きそうだ。どうしたらいい。一時的にも身も心も機能を止めるか、せめて眠らせることができたら。
「アベンチュリン……」
「なんだい?」
「俺を気絶させてくれ」
「今日の君は一段とおかしいね……」
「これも互いのためなんだ……一思いにやってくれ。首筋にとんってやる、あれだ」
「あれは危険だから勧めないよ。気絶させるより、君を引きずってでも運んで行った方が早い。宿はそこだからね」
そう言ってアベンチュリンは指をさす。通りを曲がってすぐ。そこに彼の取った宿はあるという。
「わかった……ともかく連れて行ったら、ひとりにしてくれ……そばにいないでくれ」
あまりにも自分のことで必死で、アベンチュリンの寂しげな表情に穹は気づかなかった。
宿は簡素な建物だったが、休むには十分であった。昨日予約したばかりだという話を聞きつつ、ふたりは通された部屋に入った。穹はアベンチュリンの手を借りつつ、ベッドに横たわった。そしてアベンチュリンはベッドから離れた場所に置かれた椅子に腰を下ろした。
彼から離れたことで呼吸はしやすくなった気がする。ほっとひと息をついたところで、アベンチュリンが問う。
「一体何があったんだい。急に具合が悪くなったように見えたけど……」
「何も……ひとりにしておいてくれたら治る」
一日こうして寝ていれば効果は切れて、いつも通りになる。そのはずだ。ほっといてくれ、と穹は言う。けれどアベンチュリンはひとりにはしてくれない。椅子に座ったまま、こちらをじっと見つめてくるのを感じ、穹の頬は熱くなる。ちょっと顔を上げれば、アベンチュリンはやはりこちらを見つめていた。
「……どこか行かないのか? なんでここにいるんだ?」
「僕が予約した部屋だからね。僕がこの部屋にいて、何かまずいことがあるのかい?」
「……ええと、結構、まずい、かも……」
どちらかというとお前が危ない、という意味を込めて、穹は言う。素直に打ち明けてしまったらよいのだろうけれど、そうも言えない。媚薬を飲んだので、このままじゃお前に襲いかかりますよ、なんて明かしてしまったら、彼との関係は気まずくなるだろう。こんな形で片思いを終わらせたくはなかった。むしろ穏やかな片思いが続くならそれでよかったのに。
「それはどうして?」
「いや、だって……」
視線が痛い。
「いつもなら、君から距離を縮めてくるのに。手を伸ばせば、素直に近づいてきてくれるのに、どうしてなんだろうね?」
椅子が音を立てた。アベンチュリンが立ち上がり、穹の方へ近づいてくる。そしてベッドに横になっている穹に覆い被さってきた。彼の吐息がかかり、再びの至近距離に穹の胸がどくんとはねる。
「アベンチュリン」
「今日の君のその態度は、依頼人の女性のせいかな?」
「え、なんでわかるんだ?」
「言っていたじゃないか、メッセージで。『今日の依頼人は特別なんだ。ちょっと危なっかしくてほっとけなくて、定期的に顔出さないといけない。俺にも責任があるから』って。その女性は、君にとって特別なひと……恋人なんだろう?」
「え……?」
思わぬ発言に、穹の頭は冷えた。身体はひどく熱いままなのに。何やら大きな勘違いをされている。穹は弱々しく首を振って否定する。
「ち、違う、彼女が特別っていうのはそういう意味じゃなくて……」
「大丈夫。照れなくたっていい。僕たちは、友達だろう? 隠し事はなしだ。けれど、恋人のひとりやふたりいることは、もっと早くに言っておいて欲しかったね」
冷え冷えとしていた彼の美しい瞳が揺れる。穹の頬に触れかけて、逡巡したのちにやめる。ため息とともにアベンチュリンはつぶやいた。
「……同じ思いだと思っていたけど、僕の勘違いだったみたいだね」
そしてアベンチュリンは穹から顔を、身体を離して、穹に背を向ける。彼が部屋のドアに近づいていくほどに穹の身体からは熱が引いていく。待ってくれ、と穹は身体を起こす。
「アベンチュリン、違う、話を聞いてくれ」
穹の言葉は届かない。アベンチュリンはドアノブに手をかけ、穹の方へと振り向いた。
「おめでとう、マイフレンド。祝福するよ。どうか彼女とお幸せに」
今までごめんね。その言葉とともに彼は去っていく。
「待って! ちが……っ!」
ばたんと、部屋のドアが閉まった。彼の姿が見えなくなり、身体の熱はすっかり引いた。
「違う、俺は……」
その声は聞いてほしい人にはもう届かない。
夢なら覚めてほしい。穹が自分の頬を思いきりつねると、とても痛くて涙さえ出てきた。残念なことに現実だった。この胸の痛みも現実、勘違いをされたことも、恋が終わったことも現実だ。
(こんな形で片思いって終わるんだな)
予想もしていなかった終わり方に穹は愕然としていた。これもそれも、穏やかな片思いのままにさせてくれなかった彼女のせいだ。
(いや、そのままでいようとした俺が悪いのかな……遅かれ早かれ、アベンチュリンにだって恋人はできたはずだ……)
後悔をしても嘆いても時間は戻らない。この恋はもうおしまいなのだ。
そう結論を出して、疲れ切った穹はいつしか眠りについた。
会えれば嬉しい。会えなければ寂しい。もっとそばにいたいし、思い出を増やしていけたらきっと幸せ。
目は口ほどに物語る。ある日、彼の琥珀色の瞳にこちらへの好意が秘められていることに気づいた。同じ気持ちを抱いていることを知った。じわりと胸は温かくなったのを覚えている。あえて言葉にしなくてもいい。ふたりでいるときのこの温かさの中にひたっていられるのなら、このままでいい。そう思っていた。
しかし。
『今日の依頼人は特別なんだ。ちょっと危なっかしくてほっとけなくて、定期的に顔出さないといけない。俺にも責任があるから』
そのメッセージを見て、居ても立っても居られず、駆けつけてみれば彼の様子はどうにもおかしい。いつもなら素直に縮めてくる距離は今日は遠い。ひとりにしてくれ、そばにいないでくれ、という拒絶の言葉に胸はずきりと痛んだ。今まで受け止められてきたからこそ、拒まれるのが辛い。
ああ、勘違いだったのか、と今になって気づいた。彼には特別と言ってしまえる関係の女性が、恋人がいる。
結局、この想いは一方的な片思いでしかなかったのだ。
いやだ。
行かないで。
そばにいて。
あつい。
それでもいい。
好き。
穹は目を覚ました。視界は明るい。ベッド横の灯りがついているらしい。つけた覚えはない。誰がつけたのだろう。起きあがろうと身体を起こすと、ベッドの横にいる人物に気づき、収まっていたはずの熱がまた灯る。どくりと再び脈を打つ。
「お目覚めかい、星核くん」
「アベンチュリン……」
椅子に座っていたアベンチュリンが手を振ってみせる。
「ずいぶんと寝ていたね。このまま目が覚めないかと思ったよ」
「そんな大げさな……。でも、なんで、ここに」
もう戻ってこないかと思ったのに、と言えば、そのつもりだったんだけど、と彼は言う。
「最近気づいたんだけど、僕は、案外諦めが悪い性質らしくてね」
アベンチュリンが穹の手を取った。穹の手の異様な熱さに彼は驚いたようだった。それでもそっと愛おしげに手の甲を撫でられて、穹の体温はさらに上がる。少しでも気を緩めたら、好きという言葉がうっかりこぼれ出てしまいそうだ。
「アベンチュリン、俺……」
「恋人がいる君を、振り向かせようと思うんだ」
好きだよ、今はこちらの片想いだとしても。
「いつか同じ想いを返してくれたら、嬉しいな」
「え……」
聞き間違いだろうか。
「好き……?」
「ずっと前からね。恥ずかしいことに君とは両思いだと思っていたんだけど、違ったみたいだ。それはこれから巻き返すから、安心してほしい。いや、覚悟かな?」
「え……本当に、い、いや、ち、違う、そうじゃない、あの子は、恋人じゃない……」
彼から吐露された想いが背中を押す。身体を苛む熱を振り切って、穹はアベンチュリンの手を掴む。
「お前には誤解されたくない。今日の依頼人は恋人じゃない。単なる依頼人なんだ。ただ、定期的に危ない薬を作るから見張っとかなきゃいけない。それで……その子の薬を飲んだせいで、今、こうなってる」
「薬?」
「……媚薬だ」
「……媚薬?」
アベンチュリンの瞳が再び冷えたものへと戻る。
「なるほど……街で会ったときにまだ落ち着いていたのは、そういうことだったのか」
「断じて! 違う! 話は最後まで聞け! この媚薬はただの媚薬じゃない。その……」
誤解されたままより、お別れより、明かした方がましだ。今さら恥じるな。
「好きな、ひとが、近くにいると……効果が出る……んだよ!」
「……え?」
ああ、もう! 言ったら言ったで恥ずかしい。振り切るために勢いそのままに穹は言う。
「俺だって! お前が好きだ! この熱も苦しみも前にお前が近くにいるから! お前じゃないと、この熱も苦しみも終わらない!」
というわけだから、と穹はベッドの上で勢いよく土下座をした。
「頼む! 力を貸してくれ! 明日の昼近くまでお前と離れるか、お前と一発ドンッてしないと終わらないんだ!」
「一発ドンッて何だい!?」
「わかるだろ! 大人なら! その……ドンッだ! あのその、これがこうで、こうなって……!」
「落ち着いて、ジェスチャーはやめて、わかったから!」
互いに深呼吸をしてから、状況を整理することにする。
「えっと、僕と君は、両思いということでいいのかな?」
「そうだ」
「よかった……」
「それで、今俺は熱も痛みも脈拍もなんだかもうめちゃくちゃで大変なんだ。それをどうにかするためにも、お前には……その……一思いにやってほしい」
「それは……」
「大丈夫、悔いはない。命がとられるわけでもないしな!」
ただ未知の体験に対する不安も恥ずかしさも若干の期待も甘い夢もある。さあ! 来い! と穹は腕を広げた。もはややけくそであった。そんな彼を見かねて、アベンチュリンは冷静に穹を諭す。
「気持ちはわかる。けれどそういうのは、もっと落ち着いた状況でするべきだと思う」
「でも辛いし……お前には触れてほしいし……」
「本当に落ち着いて。僕までどうにかなりそうだよ。今日のところは僕は外に出ているよ。明日の昼には効果が切れるんだろう?」
「そうだけど……」
「そうしよう。だからまた明日だね、星核くん」
立ち上がるアベンチュリンを穹は引き止める。
「でも、キスくらいはしたい。一回だけでいいから」
「はあ……本当に、それで足りると思うのかい?」
そう言ってアベンチュリンは穹の唇を奪った。思いを通わせた者同士、一度の軽いキスでは足りず、もう一度、二度三度。やがて口づけがずっと深くなるほどに、かえって穹の身体からは熱が引いて、思考はクリアになっていく。
「ん、ぅ……?」
互いに顔を離し、至近距離で見つめ合うが、先ほどまで穹を苛んでいた熱も苦しみもすっかり消えている。
「え……?」
アベンチュリンが穹の額や頬に口づけを落としながら、彼の熱を確かめる。それに対してなんだかくすぐったくて恥ずかしくはなるが。
「もう、変な熱さはないね……?」
「うん……。え……じゃあ効果は切れた……?」
もしかして。もしかしてもしかして。今まで、大きな勘違いをしていた? ああ、もしかして。
「一発ドンッて、キスのことだったの、か……」
そうつぶやいて緊張の糸が切れた穹は、泥の中に沈むように意識を手放した。
「一発ドンッではわかりにくかったですね。もっとわかりやすい表現にしなくては」
わたしはペンを取って説明書を書き直す。
「愛する人とのキス……と。うふふ、童話みたいで素敵!」
毒や呪いで苦しむお姫様を助けるのは、彼女を愛する王子様と決まっているもの!
「毒や呪いと同等の薬を調合するな!」
「ごめんなさい。じゃあ、ちょっとドキドキするくらいに弱めときますね。そのときはまたお呼びします」
「もう呼ばないでくれ……」
そんなやりとりをしながらわたしはペンを置いて、ふたりの方へと振り返った。
「それで、その後はどうなったんでしょう、と聞くのは野暮でしょうね」
しっかり繋がれた手を見て、わたしはふたりの仲を察した。うまくいってよかったと笑えば、灰色のおにいさんは、酷い目にあったんだぞ、と被害を訴える。そんなおにいさんを金色のおにいさんがなだめにかかる。
「まあ、いいじゃないか。ちょっとしたハプニングもスパイスさ」
「お前もずいぶんと弱ってた気がするんだが」
「おっと、それは機密事項だよ、星核くん」
ずいぶんと親しげな仲のふたりに満足し、わたしは先ほど調合した薬を差し出す。
「では、晴れて仲を深めましたおふたりにはこちらの薬を差し上げます」
「何の薬だ……?」
「無論、媚薬です」
「お前なあ!」
「嘘です、甘いだけの栄養剤です」
「もう何も信じられない……」
首を横に振った灰色のおにいさんとは違い、金色のおにいさんは興味深々といった感じだ。
「へえ、もらっておこうかな。最近仕事漬けで疲れてるんだ」
「やめといた方がいいぞ……彼女の薬、栄養剤が一番危険なんだ。最悪、内臓が爆発する」
「内臓が、爆発……」
「ふっ、ふふ……」
「何笑ってるんだ?」
「いえ……」
わたしと夫の結婚生活はわずかな時間だった。それでも幸せだった。けれどもっと一緒にいたかった。後悔をしても嘆いても時間は戻らない。延びることはない。ならばせめて、これからともに歩むという人々に思いを託そう。
どうか。
「ふたりの仲が少しでも長く続きますように、と、祈っていたところです」
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