瞳は雄弁という言葉がある。いやはやまったくその通り。穹の琥珀の瞳の中に、恋心が紛れ込んでいるのは一目瞭然。視線を向けている相手に好意を抱いていることは誰もが気づくだろう。視線を向けられている当人なら、なおさらのこと。
「なんか……嬉しそうだな? アベンチュリン」
「もちろん、嬉しいに決まっているだろう?」
彼は好きという気持ちを隠せない。
こちらの一挙一動に素直に一喜一憂する彼に、アベンチュリンの口元はゆるみっぱなしなのであった。
だが、そんなアベンチュリンが、穹としては気に食わないのであった。
「……何が、嬉しいに決まってる、だよ! いつも余裕たっぷりで! にやにやして嬉しそうにして! きらきらして! アベンチュリンなんか! アベンチュリンなんか!」
カクテルグラスに注がれたクラシックスラーダを一気に飲み干してから穹は叫んだ。
「そういうところも好き! もう一杯!」
「飲み過ぎですよ、おにーさん」
バーカウンターに立つ女性がそうたしなめると、穹は渋々といったふうにカクテルグラスをカウンターに置く。
つい最近開店したバーには穹の他にも何人か客の姿があった。恋人同士、友人同士、上司部下などペアで来ている客が多い中、穹はひとりでやって来ていた。このバーの開店にあたり、店主である女性はカクテル作りの技術から対応の心得、用心棒役と穹にかなり助けられた。晴れてオープンできたのも穹のおかげということで、ふらりと訪れてはたっぷり惚気ていく穹を快く迎えている。空になったスラーダの瓶を片付けつつ、女性は穹の話に耳を傾けていた。
「うう……好きだ……」
「……本当にお好きなんですね、そのアベンチュリンというひとが」
「そう。本当に好きなんだ。でもそれが最近悔しくなってきた」
「ええ? 悔しい? どういうことです?」
「だって、俺ばっかりが余裕なくて焦ってて悔しい。にこにこされてるのさえ悔しい。俺ばっかりが……」
穹はうつむいてつぶやいた。
「俺ばっかりが、好きで悔しい……」
結局のところ、穹の片思いなのである。
穹がアベンチュリンのことが好きだと気づいたのはわりと最近のこと。おともだちとして仲良くしていたはずが、ある日、どういうわけか、もっと親しく近づきたい、もっとそばで彼に触れてみたいという欲求が生まれてしまっていたのである。そんな欲求を抱く自分の戸惑い、ぎこちなく接するようになった穹を、アベンチュリンは変わらず受け入れた。恐る恐る視線を向ける穹を、彼は変わらず笑顔で接した。変わらない彼の態度に安心し、ようやく緊張が解けた穹に対しても、アベンチュリンは変わらなかった。むしろ嬉しそうで、何やらにやけているくらいだった。そこで穹は気づいた。
(好きだってばれてる)
そしてアベンチュリンがにやけている意味も察した。これまで穹は微笑ましく見守られていたのだ。例えるなら赤子がはいはいをするのを見守る親のように、幼い子がよろけながらも歩いていくのを見守る大人のように。気づいた穹の中に生まれたのは悔しさだった。
(俺はこんなにも本気で、戸惑って悩んで安心して、また不安になってるのに)
涙すら出そうなくらいに悔しくて、でもやっぱり好きで。
それなのにアベンチュリンはいつも余裕綽々で、好意を寄せる穹をおもしろそうに見つめているだけ。
「くやしいぃ……」
「じゃあ、おにーさんはどうしたいんです? 悔しい悔しいと言ってるだけ?」
「それじゃあこっちの負けだ!」
「勝ち負けなんですか? アベンチュリンさんを、おにーさんはどうしたいんです?」
どうしたいか。穹は視線を上げた。それはもちろん。
「余裕な態度を崩して焦らせたい、呆気にとられた顔が見たい、俺と同じ思いになってほしい」
そしてできることなら。
「俺のことが好きなんだって、すがりつかせたい」
「ず、ずいぶんと激しい感情ですね……?」
「片思いってそういうものだから仕方ない」
「……そうかもしれませんね」
「わかってくれるか? じゃあ協力してくれ! 一緒にアベンチュリンを焦らせよう!」
「ええ? もちろん協力は……できる限りはしたいですけれど……何か案があるんでしょうか?」
「もちろんだ」
「じゃあ一応聞かせてください」
「ごほん、では心して聞いてほしい。アベンチュリンを焦らそう大作戦……最初にして最大のポイント。それは……俺には好きなひとがいるってことをアベンチュリンに言うこと!」
意外な提案に女性は目を丸くしたが、すぐさまその真意がわかったと瞳を輝かせた。
「……ああ! おにーさんの方から告白するんですね! そしておにーさんがどんどんとアタックしていって余裕を崩していく……」
「いや、アベンチュリンとは別の人を好きな人だと紹介する」
「……え?」
女性は嫌な予感がした。向かいに座る穹は真剣な顔をして女性の手を取った。
「というわけで、協力してくれ、マスター。マスターを俺の好きなひとだと紹介する」
一瞬頬を染めた女性だったが我に返ると顔を青ざめさせ、ぶんぶんと顔を横に振った。
「い、いやいやいやいや! 絶対! 面倒なことに! なりますから!! 私を巻き込まないでください!!」
「さっそく行ってくる! 協力よろしく!」
「よろしくじゃないんですけど!?」
穹はお代をカウンターに置いてバーを出て行く。止める暇もなく去っていった彼の姿は見えなくなった。取り残された女性はカウンターに突っ伏して大きなため息をついた。
「はあああ……絶対面倒なことになる……でも」
好きなひとの恋路を応援したいとは思っていた。協力がしたいというのは本音だ。
「でも絶対面倒なことになる……」
嫌な予感しかしないと女性は頭を抱えた。
「やあ、マイフレンド。今日も会えて嬉しいよ」
アベンチュリンの瞳はサングラスに覆われていつも以上に感情を読ませない。しかしその口元は物語る。それはもう結構かなり相当に緩んでいる。
(そんなに微笑ましいか、俺の片思いが)
穹は憮然とした面持ちであったが、そんな余裕も今のうちだけだと思えば、ちょっとだけ笑うことができそうだった。
贔屓のレストランにアベンチュリンを呼び出し、いつものように他愛のない会話をしながら、穹は作戦決行の刻を待っていた。だが意外と言い出すタイミングが掴めず、穹の方が焦っていく。何やら妙に視線をさまよわせる彼に気づいたのか、アベンチュリンが首を傾げた。
「どうしたんだい、具合でも悪いのかな? それとも何か言いたいことがある?」
「え? えっと……」
作戦決行のチャンスだ。穹は深呼吸をして、真剣な顔でアベンチュリンと呼びかけた。いつもと違う穹の様子に、アベンチュリンも目を瞬かせてから座る姿勢を正した。
「俺……好きなひとがいる」
「そうだろうね。君の琥珀の瞳を見ていればわかるよ。そのひとがどんなひとなのか、教えてくれるかい?」
「ああ、そのひとはな」
聞いて驚け、アベンチュリン。
「最近オープンしたバーのマスターなんだ」
「………………え?」
「素直で優しいひとなんだ」
「……………………なるほど?」
穹の目から見ても明らかなほどに困惑している。よし、上々だ。穹はガッツポーズをしたくなるのを抑えて、彼女について語り始める。恋愛感情ではなくとも、マスターの人柄は好ましいとは思っている。ゆえに嘘をつく必要はなく、語りやすかった。実に最適な相手であった。すっかり黙り込んでしまったアベンチュリンに対し、穹は無垢を装って首を傾げてみせる。
「どうしたんだ? アベンチュリン」
「……いや、初めて聞く話だからね。そういう話は『友人』である僕にしたことがなかっただろう? 驚いたんだ。いや、隠しごとをされていたみたいで、悲しかったとも言うかな」
「そうだろうな。今日初めて言うからな」
「そうだね。じゃあ僕も今日初めて話をしよう。僕にも、好きなひとがいるという話をしてもいいかい?」
「……え?」
周囲の音が一瞬消えた気がした。優越感で浮かれていたところに、突然冷水をかけられたような、固いもので殴打されたような感覚に陥った。緩慢な動きでサングラスを外したアベンチュリンの瞳に浮かぶ感情は、穹にはまだわからない。ただその口元から笑みは消えている。
「とても刺激的で、それでいて素敵なひとなんだ。危なっかしくて、でも頼もしくて、魅力的で、片時も目を離せない。ぶっきらぼうなのにいつも欲しい言葉をかけてくれる。素直で嬉しい反応をくれるひとでね。できることなら、同じ思いでいてほしいと思っているひとなんだ」
ずっと両思いだと思っていたよ、でも。
アベンチュリンの瞳に影がさす。
「そうじゃなかったみたいだ」
お代は払っておくよ、と言ってアベンチュリンは立ち上がり、穹に背を向けてつぶやいた。
「……どうか、そのひとと幸せにね」
そう言い残してアベンチュリンはレストランを後にした。席に残っているのは呆然としたままの穹だけ。
「あれ……」
はたしてこれでよかったのだろうか。
目標は達成したかもしれない。アベンチュリンの態度にいつもの余裕はなく、笑みも消えた。そして視線は外され、背中を向けられた。いつも注がれていた彼の眼差しは穹の方にはもう戻らないだろう。
「あ、れ……?」
そんな彼の姿を自分は望んでいたのだっけ。
「い、やだ……」
そうじゃない。
余裕を崩したい。
焦らせたい。
すがらせたい。
暴力じみた要求ばかり。
「……ちがう」
自分がそんな要求したくなったのは。
(お前に、好きだと言って欲しくて、好きになって欲しくて……)
それで自分は何をした?
「う、あ……」
間違えた。
穹はそこで気づいた。
だがもう遅い。
ちがう、違う、違う!
そんなひとりよがりの慟哭はアベンチュリンには届かない。
開店前のバーは静かなものだ。テーブルを拭き、椅子を拭き、グラスも拭き、あとは在庫も確認した。そういえば準備中の札を下げておいたっけ、とちょっと気になって、入り口の方へと向かったときだった。
「失礼するよ」
バーのドアが開く。お客様が入ってきてしまった。慌てて私は駆けていく。
「あ、まだ開店してな」
「知っているよ、準備中の札がかかっていたからね。ちょっとマスターさんと話がしたいだけなんだ」
入ってきたお客さんの風体に、私はつい後退りをした。年若い金髪の男性だ。サングラスに帽子、かっちりとしているようでいて崩している部分もあり、色合いは派手。サングラスを外して姿を現した瞳は水晶の如き色彩。微笑んでいるのに瞳は笑っていない。
怖い。めちゃくちゃ怖い。剣呑な雰囲気をまとう謎の男性に、私は震えながらも、それでも毅然と顔を上げた。
「借金なら全部払いましたよ! 取り立て屋さん!」
「違うよ!?」
違ったらしい。
ごほんと咳払いして金髪のお客さんは仕切り直す。
「……この店を贔屓にしている、あの開拓者くんがマスターさんのことを口にしていてね、つい気になって足を運んだんだ。マスターさんは君だね?」
あ、面倒なことになってるな、というのはそこで察した。向けられている視線は先ほどから険しいし痛い。そして本当に灰色のおにーさんは私を巻き込んでしまったらしい。ということは、この人が。おにーさんが好きで好きで仕方がない、アベンチュリンというひとか。
準備の手を止めて、私は彼と向かい合った。
「この店の店主は確かに私ですが、何か話すのならば開店してからでもよかったのでは? ご予約を入れていただければゆっくり話すこともできますし、開店前の多忙な時間に訪問されましても、対応しかねる部分もございます」
こちらも視線を鋭くさせて告げれば、彼は目を丸くし、やがて何やら感心したように手を叩いてみせた。
「なるほど、それもそうだ。非礼を詫びることにするよ。けれど一番知りたかった、君の人柄がつかめたような気がする。開拓者くんが君を好きになったという事実を、僕は納得しなければならないらしい」
「はあ……本当に言ったんですか、灰色のおにーさん」
つい声に出てしまった。やっぱりそうか、本当にあのひとは、と大きくため息をついていると、彼の表情は諦めようなものから怪訝なものへと変わる。
「君は、開拓者くんの好意を知っていたのかい?」
「知っていたというか、聞いていたんですよ、そういうふうにあなたに言ってやるんだっていう計画を」
「……計画?」
「そうですよ、金色のおにーさん。開拓者さんから好意を向けられていつもにやにやしている、アベンチュリンさん? そういう態度が、開拓者さんは不満だったらしいですよ? だから私を好きなひとだと紹介して、焦らせたいと言っていました」
余裕な態度を崩して焦らせたい、呆気にとられた顔が見たい、俺と同じ思いになってほしい。
そしてできることなら、俺のことが好きなんだって、すがりつかせたい、と。
「私が開拓者さんから聞いたのは、あなたへの好意です。わかっていたでしょう? いつも熱烈な視線を受けて笑っていたのなら。あのひとの目は嘘をつけません。あのひとが誰を好きかなんて、あなたが一番わかっているでしょう?」
それなのにおにーさんの嘘を信じて、動揺して、こちらに突撃してくるなんて。
「……あなたがすべきことは、私を探りに来ることじゃなくて、開拓者さんに思いを告げることですよ」
できることなら、なんてつけなくったって、ふたりはすでに同じ思いを抱いている。
そのことにふたりして気づいていないなんて!
焦らず機が熟するのを待て。収穫の時期を見誤らないこと。喉から手が出たくなるのをこらえ、徐々に熟れてゆく果実を見守るのはもどかしくもあり、幸せでもあった。
まっすぐな好意や憧憬、ひっくるめて恋心を寄せられている! しかも憎からず思っている相手から! 両思いとわかり、浮かれてにやけてしまうのも仕方がないだろう。この優しい関係をいつまでも続けることができたなら、と何度思ったことだろう。
しかし永遠に続く関係などありやしないのだ。
だから、終わらせて、先に進まなくてはならない。
穹はひとり広場のベンチでぼうっと空を見上げていた。何システム時間ほどそうしていたのかもわからない。
穹自身が立てた馬鹿げた作戦によって、アベンチュリンへの恋は砕け散った。その上、彼には好きなひとがいたらしい。
『とても刺激的で、それでいて素敵なひとなんだ。危なっかしくて、でも頼もしくて、魅力的で、片時も目を離せない。ぶっきらぼうなのにいつも欲しい言葉をかけてくれる。素直で嬉しい反応をくれるひとでね。できることなら、同じ思いでいてほしいと思っているひとなんだ』
(あんなふうに熱く語るなんて、すごく素敵なひとなんだろうな、まあ、そうだろうなアベンチュリンだもんな)
そうは思うのだけれど。
(でも好きなんだよな……まだ好きだ……どうしても……)
彼への思いは未だ燻り続けている。穹はうつむいて目を閉じた。
好き。
「好きなんだ」
どうしたって消えない。
「……アベンチュリンが、好き」
そうつぶやいたときだった。
「……さっきそう言ってくれたらよかったのに」
「え?」
いるはずのないひとの声がした。目を開けると、目の前には肩で息をしているアベンチュリンが立っていた。どうして、と言う前に、穹はアベンチュリンに強く抱きしめられた。
「僕を好きだって言ってくれたら、ちゃんと僕だって返してたよ」
君が好きだって、言っていたよ。
穹はアベンチュリンの言葉を反芻し、やがて目を閉じた。ゆるゆると手を伸ばして。
「お前が好きだ」
そうつぶやいてアベンチュリンを同じだけの強さで抱きしめ返した。
「そしておふたりは無事恋人になった。そういうわけでしたか」
ふたりの話を聞き終えて、私は拍手をした。灰色のおにーさんのグラスにクラシックスラーダを注ぎながら、もう私を巻き込まないでくださいね、と釘をさしておく。
「今回だってお互いに素直になればいいだけの話だったんですから。というか、誰かを巻き込まなくったって両思いだったでしょう!」
「ごめんなさい……」
「お隣の金色のおにーさんも、ガツンと告白すればよかったじゃないですか!」
「申し訳ない……」
「いや、ちょっと、そんなに落ち込まないでください! 明るく幸せそうに笑ってくださいよ!」
慌ててそう言うと、しょんぼりしていたおふたりが顔を見合わせて、にへっと笑い合う。わかっていても幸せそうなふたりに胸がちくりと痛む。
「マスターには迷惑をかけたな……だから、その代わりに手伝うぞ! 俺にできることがあるなら協力するぞ。恋の応援とかもできるぞ!」
無邪気に灰色のおにーさんが言ってくれる。ああ、私はうまく笑えているだろうか。きっとこれからも彼は気づかないだろう。それでもいい。彼とは違い、隠し通す自信が私にはある。
「それはちょうどよかったです。私にも好きなひとがいるんですよ」
途端に金色のおにーさんの視線が険しくなる。そんなに警戒しなくったっていいのに。もうしっかりとわかっている、かなわないってことくらい。
「けれど、いいんです。そのひとが幸せそうに笑っているのを見ているだけで、私も幸せになるんですよ」
どうかお幸せに。
これも私の本心だ。
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