ワスレナグサの欲望(オエミス)

 どうか傷つけたことを覚えていて。

 ふたりが訪れたときには、空色の花があたり一面埋めつくすように咲いていたのだが、今やすっかり焼け野原となってしまっていた。双子に怒られても僕は知らないからね、というオーエンの言葉に、仕方ないじゃないですか、セイトウボウエイってやつですよ、とミスラは悪びれなく返した。
「ああしないと面倒だったので。言われた通りに討伐したんだからいいでしょう」
「あのふたりは他の花は残しておけって言ってたと思うんだけど」
「残してどうするんです。残したものがまた化け物になるかもしれないじゃないですか」
 焼け野原となってしまったこの場所は、一面に咲くワスレナグサが美しいことで有名な土地であった。人間も魔法使いもその花を愛し、皆から親しまれていたのだ。しかし厄災の影響か、一輪のワスレナグサが力を得てしまい、魔獣や人間、魔法使いを体内に取り込んで手の付けられない化け物となってしまった。これ以上被害を広げないためにも、ミスラとオーエンが任務に向かわされた。その際、双子からは、くれぐれも、できるだけ、他の花は残すように言い含められていたのだが、ミスラはためらうことなく、即座に化け物ごとワスレナグサを燃やし尽くした。傍から見ていたオーエンもさすがに呆然とするほどに。
「まあ、それもそうか。双子が許すかどうかわからないけど。それで、さっきから何探してるの」
 先ほどからミスラはきょろきょろと何かを探している様子である。花でも探しているのだろうか。何も残さぬ勢いで焼き尽くされた。一輪も残っていないと思うのだが。そう言えばミスラは首を横に振った。
「いえ、石ですよ。化け物に取り込まれた魔法使いの石。多分燃えないで残っていると思うんですけど」
「ああ、石ね。……どうだろうね。燃やしちゃったんじゃないの。おまえは強いから。あんな化け物程度に取り込まれるんだから、大したことない魔法使いの石だよ。おまえの魔法に耐え切れきれなかったんじゃない」
「そうでしょうか。まあ俺は強いですからね」
「そうそう、おまえは強いから」
 ふふん、と上機嫌に胸を張ってみせるミスラの言葉を適当に返しつつ、オーエンはそっと石をしまう。石が見つからないのは燃やされたのではなく、オーエンが先に見つけて拾ったからである。うまくごまかされてくれてよかった、とオーエンはほくそ笑んだ。そんな彼の表情に気づいたのか、ミスラが不思議そうに首を傾げた。
「なんだかご機嫌ですね」
「まあね。なんでだと思う?」
「俺といるからですか?」
「思い上がるなよ」
 冷ややかにオーエンが言い放つも、ミスラは気分を害した様子もない。そうですか、それにしてもいい天気ですね、とつぶやいてあくびをこぼすほどだ。別に傷つけようとは思っていたわけではないが、あっさりと流されるというのも張り合いがない。
「はあ、結局あの化け物はおまえに触れることもできなかったってわけ?」
「そうですね。攻撃を受ける前に燃やしたので」
「もう少し頑張ってくれたらよかったのに。いっそおまえを殺してくれたらよかったのに。そうしたらおまえの石が手に入った」
「ありえませんよ。俺は強いんですから。あの程度ではやられません」
「はあ、どうやったらおまえを殺せるんだろ」
「え? あなた、俺を殺したいんですか?」
「殺したいに決まってるだろ」
「無理だと思います」
「やってみないとわからない」
「無理ですよ。それに殺したら終わりですよ。いいんですか?」
「そんなの別に」
 構わないと続くはずの言葉は出てこなかった。オーエンはミスラが浮かべている表情に困惑した。なぜそんな、痛みをこらえるような、寂しさを抱えたような表情をする。傷つくようなことなどないだろうに。死ねば終わり。会うことも話すことも茶をすることもなくなる。彼がそんなことに傷つくわけがない。これまで死別の経験などあるわけが、いや、あった。オーエンは思い出してしまって舌打ちをした。
 大魔女チレッタ。彼が時折口にする存在。ミスラが喪失の傷を得てまもない頃、彼を泣かせようとして傷口に触れて、オーエンは手痛いしっぺ返しを食らった。それ以来触れないようにしていた。ふたりの関係はどんなものであったか、彼にとって彼女がどのような存在であったかなど、オーエンには関係ないし理解できない。だが、何かと物事を忘れがちな彼は、彼女を忘れることは決してないのだろう。たとえ傷が癒えても花を見ては彼女を思い出し、折に触れて感傷にふける。そんな姿が容易に想像できる。
 それほどまでに忘れがたいほどに深い傷を残した存在が彼にはいる。
 じゃあ自分は?
 自分にはそんな存在が現れるだろうか?
 もしくはそんな存在になるのだろうか?
 彼を傷つけることができるだろうか?
「オーエン?」
 どうしたんです、と顔を寄せてくるミスラの頬に触れる。触れてなぞって、爪を立てて、彼の頬の皮を裂く。裂かれた箇所に触れれば痛みが走ったのかミスラは顔をしかめる。
「痛……、なんですか、急に」
「おまえを傷つけたくなった。もちろん、殺したいけど」
 ミスラはため息をこぼして、つけられた傷を瞬時に治す。オーエンがつけた傷は痕を残すこともなく綺麗に消えた。
「それは無理ですよ。俺は強いので。……はあ、やる気なら受けて立ちますけど」
「やる気だよ。今日こそ殺してあげる」
 ふたりの視線が交わってしばし後、互いに放った魔法がぶつかり合った。
 
 忘れないで。
 覚えていて。
 だから傷つけさせて。
 なんてばかばかしい。

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