年が明けて、一月。例年より暖かな日が続いているが、不意に吹く風は冷たく、日が沈めばどこか肌寒い。夜ともなればぶるりと身体を震わせることもある。
だが星はこんなときにこそより一層美しく輝く。冴え冴えとした月が浮かぶ今宵の夜空には冬の星座が勢揃いしていた。明るい星が多数瞬くこの季節は、星を見るのも一段と楽しいだろう。
そう思い、彼女を誘って星がよく見えるいつもの場所へと向かうと、そこにはすでに先客がいた。
「ようこそ『Cheers to Gimlet』へ」
店主であるタニノギムレットは恭しく一礼してみせる。
「満天の星空の下に集う旅人たちに温かな一杯を捧げよう。肌を刺す寒気に立ち向かうための甘美なる……くしゅっ」
「――ギムレット。コートは、着た方がいい」
「フッ……クリスエス、感謝する。今宵は、凍れる国の如き寒気が立ち込めているな……」
「場所を変えようかしら……」
アドマイヤベガはため息をついた。とはいえ、この場所が最も星がよく見える。仕方ない。今夜は四人で星を見ようか。先客であるタニノギムレットとシンボリクリスエスと、自分と、誘いに乗ってくれたナリタトップロードとともに。
ホットミルクに砂糖を入れて混ぜ、ラムシロップを加える。その後はバターとシナモンを入れてもう一度混ぜれば完成だという。
「できたぞ。その名も、寒気に立ち向かう甘美なる一杯だ。火傷に気をつけるといい」
タニノギムレットはそう注意を伝えながら、皆にカップを手渡していく。自然とアドマイヤベガも彼女からカップを受け取ることとなる。
ラムシロップとシナモンの甘やかな香りに、ミルクとバターのまろやかな匂い。それらが合わさり、芳醇で独特な香りがふわりとただよってくる。ふうふうと息を吹きかけていると、隣のナリタトップロードが弾んだ声を上げた。
「わっ、これ、すごくおいしいです! ええと、甘くて熱くてあったかくて、おいしいです!すごく!」
やはり彼女らしい語彙力であった。そんな彼女の反応にタニノギムレットは満足そうに笑みを浮かべている。ナリタトップロードとしてはもっとおいしさを伝えたいようだが、彼女の反応を見れば一目瞭然ではあるだろう。
アドマイヤベガもカップに口をつけた。砂糖のやさしい甘さ、ホットミルクとバターのまろやかな甘さが心地よい。そして鼻をくすぐるのはシナモンとラムの芳醇な香り。温かさと甘さにほっとし、身体の力もゆるんでいきそうな気がした。
「温かい……」
「寒さゆえに星空は美しい。だが、寒さゆえに楽しめないのであればそれは惜しいことだ。さあ、顔を上げろ! 満天の星空が我々を歓迎している!」
見上げた先にはひときわ輝く星がある。その星をナリタトップロードが指をさす。
「あの星はなんていう星なんでしょうか」
「あれは焼き焦がすが如く輝く天狼だな」
「シリウス、か」
「一番明るい星とも言われているわね」
「そしてあれは天狼を先導する小さき狼。あれは巨人の身を構成する赤の輝き……この三つで構成されるのが冬の大三角というわけだ」
「冬の大三角……この前アヤベさんに聞きました。その近くに……あ、あれが双子座、ですよね? アヤベさん」
「そうね。ポルックスとカストル。互いが寄り添うように輝くのが双子座……」
そう説明しながらアドマイヤベガの瞳が細められる。かつての自分と妹のように寄り添い合う双子の星。神話のように共に星空に行くことはできなかった。ならば地上に残された自分はどうするべきか。妹の分まで走り続けること。そう決めた。だから脚が止まるまでどうか見守っていてほしい。そう告げた。走ろうとするこの先にどんな未来が待っているのかまだわからない。けれどそれが楽しみでもある。
ホットモクテルを飲み干し、再び顔を上げると、きらりと瞬き、星が尾を引いて流れたのが見えた。あれは。
「流れ星……」
その鮮烈な美しさに四人は皆ほうとため息をついた。静かに瞬く星とは違った輝きは一瞬にして皆の心を奪い去った。
「……かくありたいものだな」
タニノギムレットはつぶやいた。
「夜空に浮かぶ月よりも星よりも、闇夜を駆ける一条の流星のようにありたいものだ」
そんな言葉に反応したのはシンボリクリスエスだった。
「――お前は、それでいいのか。その記憶が、別のもので、上書きされたとしても、か?」
トゥインクルシリーズに挑むウマ娘は星の数ほどいる。強みも魅力も様々だ。健気に走り続ける強さを持つもの、鮮やかな逃げ切りをみせるもの、差し切り、押し切り、中には圧倒的な実力に衝撃を与えるものもいる。圧倒的な強さは人々の注目や記憶を簡単に変化させる。記憶は容易く上書きされ、風化していくものさえある。それでもいいのかとシンボリクリスエスは問う。そんな彼女を不安そうだなとタニノギムレットは笑う。
「他にも上書きされたとしても、だ。胸に一度灯されたそれは完全に消えるということはないだろう。先ほどの流星のように」
ふとした瞬間に再びその記憶は熱を帯びて輝く。脳裏に鮮やかによみがえる。
「クリスエス、覚えておくといい。灼き焦がすほどに強い輝きは、記憶からなかなか離れないものだ。たとえ、世界に衝撃を与える走りをみせるものが今後現れたとしても、ワタシの走りは皆の、オマエの記憶に確実に残る。フッ、次の大舞台で胸を灼くほどの、流星のような走りを見せてやろう」
「それは……どこで?」
「無論、ターフで」
不遜な笑みのタニノギムレットにシンボリクリスエスは静かな視線を向けている。今年彼女たちはクラシック級の大舞台を控えている。ふたりがぶつかり合うとすれば東京で行われるレース、日本ダービーだろうか。
一生に一度のレースを彼女たちはどんな走りで駆けていくのだろうか。彼女たちの世代はどのような未来を描いていくのだろう。
「私たちも負けていられませんね。まずは春に向けて頑張らないと! そうですよね? アヤベさん!」
「そうね……」
ナリタトップロードの言葉にアドマイヤベガはうなずく。やがてふたりがシニア級になれば、彼女たちとも同じターフでぶつかり合うのかもしれない。そんな未来が待っているのかもしれない。どちらが勝利を掴むか。それはそのときになってみないとわからないことだ。けれど。
「私も負けるわけにはいかないわ。この先も、走り続けると決めたのだから」
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