弱々しい声だった。
『……父さんの作った、温かいモクテルが飲みたい……』
十二月。
わずかに残っていた暖かさはすっかり消えて、朝は霜がおりていることもある。吹く風は冷え冷えとして、日差しは雲に覆われて遮られていることが多いため、寒さを強く感じることが増えた。季節はもう、秋から冬へと移ったのだと肌で感じる今日この頃、シンボリクリスエスは調理室にいた。
彼女の目の前には卵、牛乳、砂糖、シナモンパウダー。そしてボウル、泡立て器、鍋など。カップもいくつか並べて置いてある。
レシピはよく知っている。準備はできた。
「――始めよう」
卵を割ってボウルに入れて泡立てる。その後砂糖を加えてさらによく混ぜる。ここでしっかりと泡立てていくこと、混ぜていくことが大事だという。十分に泡立てたと判断してボウルを置き、鍋に牛乳を入れて温めようとしたところで、声がかかる。
「あれ? クリスエスちゃん?」
廊下から顔を覗かせているのはヒシミラクルだ。
「何作ってるの? お菓子?」
「Eggnogだ」
「エッグ、ノッグ? うーん、聞いたことないけど……どういうの?」
「――寒い時期になると飲むHot drinkだ。飲むとよく温まって、ぽかぽかになる」
「へえ〜そうなんだ」
「よければ、飲んでいくといい」
クリスエスの言葉にヒシミラクルは驚いたような表情を見せる。
「ええっ、だ、大丈夫? 足りる?」
「No problem. 量は十分だ。遠慮なくぽかぽかしていくといい」
「じゃ、じゃあ、遠慮なく〜」
えへへ、と笑んでヒシミラクルは調理室に入り、クリスエスの向かい側の椅子に腰を下ろした。
それを見届けてから、クリスエスは弱火で牛乳を温める。沸騰してしまう前に火を止め、先ほど泡立てたものをカップへと入れる。さらに温めた牛乳をゆっくり注ぎ、シナモンパウダーをかければ完成だ。湯気とともにふわりとシナモンの甘い香りが広がった。
「おお〜、これがエッグノッグ? どんな味がするんだろ」
ヒシミラクルは差し出されたカップを手に取り、ふうふうと息を吹きかけたのちにエッグノッグに口をつけた。
「わ、おいしい……結構甘い、でもシナモンがなんだか大人っぽい感じ?」
それになんだかぽかぽかしてきたかも、というヒシミラクルの表情はすっかりゆるんでいる。
ホットで飲むエッグノッグは温まる上に栄養もあり、心もほぐれるという。祖国でも寒い時期になるとよく飲まれていた。これを飲めば皆が元気になれる。だから、肩を落としていた彼女にこれを飲ませてやりたい。そう思うのだ。
ごちそうさまでした、と言ってご機嫌で帰っていくヒシミラクルを見送り、クリスエスは片付けをしながらひとり思案する。
エッグノッグを彼女に飲ませてやりたいのはやまやまだが、ここのところ彼女と会うことがないのだ。どこにいるのか見当もつかない。クラスでも姿を見かけないので学園に来ているかどうかも怪しい。あの日に会えたのが奇跡だったのかもしれなかった。
あれはトレーニングを始めようとした矢先に、雨に降られた日のこと。玄関で雨宿りをしていたクリスエスは、その隅で座り込んでいるウマ娘を見つけた。彼女がタニノギムレットだと気づき、クリスエスはそちらへと近づいていった。制服は雨で濡れ、髪はぽたぽたとしずくが垂れているのにもかかわらず、それを拭う様子もなく、ギムレットの視線は下を向いたままだった。
『ギムレット?』
正面に立って声をかけても反応はない。このままでは風邪を引いてしまう。せめて髪だけでも拭いてやらなくては、とその場にしゃがみこみ、ギムレットの頭にタオルをかけて拭ってやろうとした瞬間。弱々しい呟きを拾ってしまった。
『……父さんの作った、温かいモクテルが飲みたい……』
その後、やって来た教官がギムレットを連れていくまでそばにいたが、彼女は何も反応を示さず、ふたりの間には沈黙が下りたまま。何があったのかもわからずじまいだ。わかるのはギムレットが気を落としているということだけ。今もなおその状態なら、元気を出してほしいと思うのだが。そう思い返しながら片付けを終えて顔を上げると。
「……ギムレット」
「……店主、店はまだ開いているか?」
タニノギムレットはぎこちない笑みを浮かべてそう言った。
「つい先ほど、奇跡をもたらす我が友人が言っていた。飲めばたちまちに熱と幸福をもたらす甘美なる霊薬があると。まさかオマエが振る舞っているとはな」
ギムレットが饒舌であることに安堵しつつ、再びクリスエスはエッグノッグを作っていた。今度は二人分だ。量は少々増えたがやることは変わらない。手早く、かつ丁寧に工程を完了させ、最後にシナモンをかけていく。甘くも独特な刺激のあるスパイシーな香りはやはり寒い時期に似つかわしい。
「できたぞ」
「いただこう」
ギムレットが口をつけるのを待ってから、クリスエスもエッグノッグを飲む。卵と砂糖、牛乳のやさしい甘みが身体にしみわたる。含むほどに身体が温まっていく。向かいに座るギムレットの顔色も少しは色づいただろうか。
「……不運は重なるものだ。望もうとも望まざろうとも、時季を選ばず襲いかかってくる」
やがてギムレットが口を開いた。クリスエスは静かに彼女に話に耳を傾ける。
「あの日は、そういう日だった。そして雨に濡れて冷えた心身が求めたのは、父が作った温かなモクテルだった。ここ数日、父の元に帰ろうかとも悩んだが……」
エッグノッグを飲み干し、ギムレットは先ほどよりもやわらかい笑みを浮かべた。
「感謝するぞ、クリスエス。この心身に再び熱が灯ったことへの謝礼をしなければな」
「礼には、及ばない」
「フッ、それでは俺の気がおさまらないというものだ。さあ、注文を! オマエにふさわしい至高の一杯を捧げよう! クックック、ハーッハッハッハ!」
久方ぶりに聞いた彼女の高笑いに、これほど安堵する日が来るとは。エッグノッグによって彼女が立ち上がれたのなら、何よりだ。
さあ、早く注文を、とせがむギムレットにクリスエスは静かに告げた。
「ならばジャックローズを二人分。私とお前の今後の乾杯のために」
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