琥珀の宝(クリギム)

 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、トレセン学園の生徒たちはそれぞれ教室に戻っていく。図書館を後にしたシンボリクリスエスもそのひとりだ。借りた本を抱えて廊下を歩いている。次の授業ではレース展開についてのレポートを書くことになっている。そのための資料を借りてきたのだ。早めに目を通し、レポート作成に取りかかりたいところである。
 教室の方に続く廊下を曲がってから、後ろに人の気配を感じて振り返る。するとひとりのウマ娘の背中を見つけた。彼女は教室の方には向かっていない。むしろ遠ざかっている。何かあったのだろうか。授業に出ないつもりなのだろうか。
(確かあちらには、保健室が)
 しばし逡巡したのち、クリスエスは教室には向かわず、踵を返して彼女のもとへ歩き出した。
 
 チャイムが鳴り、午後の授業が始まりを告げる中、タニノギムレットはぼんやりと廊下にある鏡を見つめていた。
 そして周囲に誰もいないことを確認してから、ギムレットはそっと眼帯を取ると、隠されていた右目が姿を現した。琥珀色のそれは左のものと比べれば、丸く大きく、やさしい形をしている。
(いつ見ても、破壊神ワタシには似つかわしくないアンバーだ)
 試しに左目を手で隠してみれば、ずいぶんと印象が変わる。やわらかな髪質も相まって、破壊神にはほど遠い、柔和なウマ娘の姿がそこにはあった。
 この世に自分を誕生させてくれた両親を、彼女は深く敬愛し、感謝している。天から与えられたも運命も受け入れている。だがこの右目は、ギムレットにとって隠された影の部分トップシークレットにしてコンプレックスである。父親も母親もこの瞳をも愛してくれているが故に、認めることのできない自分は間違っているのではないかと苦しくなるときがある。
(これも俺の運命の一部。だが俺は……運命に抗おうとしているのか……)
 いつかこの琥珀を受け入れ、周囲に晒す日は来るのだろうか。来るとすればあるべき破壊神ワタシの再演を終える日になるだろうか。
 そうしてぼんやりと考え事をしていたのがいけなかった。こちらには誰も来ないと決めつけて、そのまま眼帯をつけ直さなかったのもいけなかった。
「ギムレット」
 名前を呼ばれて、ぼうっとしたままそちらへとギムレットは振り向いた。そこには本を抱えたクリスエスが立っていた。瞬きをし、息を呑んだ様子の彼女に首を傾げた瞬間に、ギムレットは右目を晒していることに気がついた。
(しまった)
 血の気が引くような感覚があった。他人に琥珀みぎめを見られてしまったという事実に冷や汗がにじむ。だが幸いなのは軽々しく公言することはないだろう、シンボリクリスエスであったことか。だから大丈夫。さあ、いつも通り。動揺を見せてはいけない。深呼吸をし、口元に笑みをのせて、ギムレットは何事もなかったかのように眼帯をつけ直す。
「どうしたクリスエス。始業の鐘は鳴ったはず……オマエもまた求めているのか? 深淵を覗き込みたいと、求め、彷徨っていたか?」
「……お前の」
 クリスエスはそこで言葉を切り、視線をさまよわせる。何を言わんとしているのか。先ほどのことなのだとしたら、どうか話題にしないでほしい。ギムレットは平静さを装いながら、琥珀を口にしないでくれと目の前のウマ娘に懇願したくなった。鼓動が早くなる。相手が何を言い出すかわからず、このわずかな沈黙の時間が恐ろしくなる。
 ややあってから、クリスエスは首を横に振って、ゆるゆると口を開いた。
「……いや、お前が保健室に、行ったのかと思い、後を追いかけた」
 どうやらギムレットのことを心配していたらしかった。つい漏れたギムレットの安堵のため息をどう捉えたのか、クリスエスは、すまない、と一言添えた。息を整えてギムレットはいつものように彼女に語りかける。
「ククッ、心配は無用。この脚に何も支障は出ていない。今にでもオマエとターフを駆けたいと思うほどだが……その時ではないな。戻るがいい、シンボリクリスエス。オマエのあるべき場所へ」
「お前は、戻らないのか?」
「フッ、まだ俺の旅路は終わっていないのでな。オマエに同行することはできない」
 違う。本当は、話題になるのを避けたいから。
「ではしばしの間、さようなら、だな、クリスエス」
 一緒にいて、視線が右目に向いてほしくないから。
 どうか何も言わずに、このまま、何もなかったことにしてほしいから。
「……承知した」
 そう言って、クリスエスは踵を返して教室の方へと戻っていこうとして、もう一度ギムレットの振り返った。
「クリスエス?」
「……前々から、思っていたが」
 彼女の視線とギムレットの視線が真正面からぶつかる。
「お前の瞳は美しい」
「……っ」
 動揺を隠せないギムレットをよそに、クリスエスの目は細められた。
「美しい、琥珀だ」
「……世辞として、受け取っておこう……パライバトルマリンの君」
 そう返してギムレットはクリスエスから背を向けた。
「……言い残したことがないのなら、早急に、あるべき場所に戻るがいい」
 
(余計なことを言ってしまった)
 ギムレットと別れ、教室に戻る道中でクリスエスは反省をしていた。
 前々から、彼女の瞳の色は美しいと思っていた。
 幼い頃、知人に見せてもらった琥珀を思い出した。透き通ったはちみつのような、グラスに注がれたウイスキーのような色のそれの美しさは今も鮮明に思い出せる。ギムレットの瞳はそれを上書きするほどの美しい琥珀だと、今回改めて思った。
 しかしそれを伝えたのはタイミングが悪かった。
 いや、そもそも話題にするのはタブーだったと思われる。彼女の様子を思い出すと、右目は隠しておきたかったものだったようだ。
(改めて、謝罪をしなくては)
 彼女が隠し持つ美しい琥珀を、偶然であっても、見つけてしまったことを。

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