バー・ナイトメアには腕のいいバーテンダーがいる。リクエスト通りの至高の一杯を出してくれる上に、話し上手で、気が回って、それでいてかっこよくて、とっても素敵!
そう熱っぽく語る女性を見かけたことが一度、二度ではなくなった頃、ちょっと彼の様子を見にいこうかとアベンチュリンは思い始めた。
彼は立場や星核の器ということを抜きにしても、どうにも周囲からの注目を集める存在であるらしい。このままでは、いずれ面倒ごとに巻き込まれるのではないか。友人としては心配になるのだ。
(……というのは建前だけれどね)
そんなことを思いながら、アベンチュリンは足取り軽やかにバーへと向かっていた。到着すればそこは、ゆったりと、そしてうっとりとするような音楽が流れる、落ち着いた空間。予想していたよりもずいぶんと人がいることに驚きつつ、アベンチュリンはバーカウンターの方へ視線をやった。ちょうど彼の姿がそこにあった。女性客の対応をしているようなのだが。
(……うん?)
ふたりの距離はなんだかとても近い。そう思った瞬間、女性が身を乗り出すように彼に近づき、ふたりの距離は口付け寸前ほどのものになる。咄嗟に彼が腰を引かなかったらどうなっていただろう。よく見れば互いの指も絡んでいる。視線も熱を帯びているように見えた。
「………………なるほど?」
そうつぶやき、アベンチュリンは彼らのもとへと近づいていく。ついでに足音をわざとらしく鳴らしてみせれば、彼と女性客の視線がアベンチュリンへと向いた。我に返ったのか、女性は彼から手を離し、さっと距離をとって椅子に座り直した。それを見届けてからアベンチュリンは軽やかな声でおどけてみせた。
「おっと! ふたりの逢瀬の邪魔をしてすまなかったね! マイフレンド! 予約の時間を間違えてしまったかな!」
目を丸くし、困惑している様子の彼にウインクをして見せれば、意図が伝わったのか、彼は女性に向かって声をかけた。
「ごめん、実は予約があったんだ。だから今夜はここまで」
「ま、まあ……予約があったのですね……ごめんなさい……ああ、でもお別れが惜しいですわ……ねえ、バーテンダーさん」
女性は恋をする少女のような瞳で彼に乞う。
「私のことを覚えていてくださる? ……夢の外まで、会いに来てくださる?」
「……お互い、夢が覚めてもそれを覚えていたなら」
「そんなの! きっと覚えていますわ! またお会いしましょう! 愛しいあなた……!」
そう言い残すが、本当に別れが惜しいのか、女性は何度も振り返る。十を超えるほど繰り返して、ようやく女性はバーを後にした。すると彼は、テーブルに突っ伏して、長く深いため息をついた。
「……助かった」
「それは何より。それにしても、君も隅に置けないねえ……。どうやってあのレディを口説いたのかな?」
「何もしてない。何回か話を聞いて、ドリンクを作っただけ」
「その割には、彼女はずいぶんと君に入れ込んでいたようだけれど?」
「……絡まれていたのも何回か助けた」
「なるほど、それが君のやり方というわけだ。参考にさせてもらうよ、マイフレンド」
「さっきから言葉に棘というか悪意を感じる気がする……」
テーブルから顔を上げた彼がアベンチュリンに言う。意外と鋭いところもあるからあなどれない。それにしても。
「あのレディ、もうここには来ないかのような口ぶりだったけれど」
「明日ピノコニーを去るらしい。それで、あなたが好きって、もうこのまま一緒になろうって熱心に口説かれて……それはできないって言ったら、せめて最後に会いに来てくれって言われて……」
「夢の外まで会いに来てくださる、という言葉につながるわけか。会いに行ってあげないのかい?」
「本当にそう思ってるかわからないだろ。前も同じようなことがあって、気になって現実に戻ってから様子を見に行ったことがあるんだけど」
ここで待っているわ、とひとりの女性から部屋の番号を渡され、いそいそと見に行けば、屈強な男性が部屋の前に立っており、その女性は男性にしなだれかかっていたという。
「こう……オレの女に手を出しやがってよくも! とでもやりそうな感じだったな。詐欺かなんかだったんだろうな。今回もそんな感じかもしれないから、行かない」
そう言って彼はグラスを片付け始めた。いや、彼女は本気だろうと思う。アベンチュリンから見ても彼女の視線は熱く、彼への執着を強く感じた。
「だとするなら、なおのこと行かない。俺にそこまでの好意はない、返せない。彼女の好意には応えられない」
「なるほどね」
「それに俺には俺の使命があるし」
グラスを磨きながら彼はなんでもないようなふうに言う。
「俺には俺で好きな人がいるし」
「なるほ……え?」
思わず動揺が表に出た。今ものすごくとんでもない発言が聞こえたような気がしたが、気のせいだろうか。マイフレンド、君、と焦ったような声を出して彼の方を見ると、彼はにやりと笑っていた。とても意地の悪い顔で。
「冗談だよ。さっきのお返し」
「……人をからかうものじゃないよ、星核くん」
「本気にしたのか?」
「君は嘘をつかないと思っていたんだよ。ああ、傷ついた」
「悪かった、一杯奢るよ。何がいい?」
「じゃあ『赤き時代』を頼むよ」
「了解」
注文した『赤き時代』は甘くさっぱりとした味わいのドリンクだ。目にも鮮やかな赤も好ましい。彼は慣れた手つきでドリンクを完成させてアベンチュリンへと差し出した。それを受け取り、アベンチュリンはひとくち飲み、ふうと息をついた。
「やれやれ、君が嘘をつく人だとは思わなかったな。おちおち約束もできやしない」
「悪かったって。俺は約束は守るぞ、多少嘘つくことがあっても」
「じゃあ、僕と約束してくれるかい?」
何を、と首を傾げた彼にアベンチュリンは告げる。
「夢の外まで、僕に会いに来てほしい」
困惑した顔の彼を見て、アベンチュリンはすぐさま付け足す。
「……約束とまでは言わないさ、こうしよう、君の気が向いたらでいい」
「……なんで急にそんなことを」
「言っただろう、君の気が向いたらでいいって。そんな顔をしなくていい、そこまで深刻に考え込むことじゃないよ」
ただ、君の気が向いたのなら、そのときは。
「夢の外まで僕を迎えに来てくれよ、マイフレンド」
それが、覚えている限り、彼との最後のやりとりだった。
一方的な約束をされたのは最近のことなのに、ずいぶんと遠い昔のことのように思える。結局彼はどうして欲しかったのか、何を期待していたのか、自分に何ができたのか、もはやわからない。
『夢の外まで僕を迎えに来てくれよ、マイフレンド』
「……お前からも会いに来るつもりでいてくれよ、アベンチュリン」
穹のつぶやきは彼には届かないのだろう。
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