そんな顔しないで(オエミス)

 ただでさえ暑くて気分が悪いというのに。

「ねえ、賢者様。あいつのあの顔、やめさせてきてよ」
 オーエンが指差した方向には窓。その向こうには木陰に座っているミスラの姿が見える。彼の視線は青空へと向けられているようだ。
「見てて苛々する、陰気くさい表情してるでしょ」
「そう……ですか?」
「気づかないの? はあ……鈍感。賢者様はこれだから……」
「す、すみません……。あ、ため息ついてる。でもどうして暗くなってるんでしょう……」
「賢者様の世界では死んだ人間が戻ってくる時期があるって聞いたんだけど」
「お盆のことですね」
「そう、それ。死んだ魔女のことを思い出して、あんな表情になってる。去年もそうだった」
「死んだ魔女……チレッタさんのことですか」
 魔女の名前にオーエンの表情が苦いものへと変わる。以前ミスラを泣かせようとその名を出して、手痛いしっぺ返しを食らったことがあった。単純な怒りをぶつけられるなら構わなかった。だが実際ぶつけられた感情は複雑で、こちらにはなんとも言えない気持ちだけが後味悪く残った。それ以来、彼女に関することについては触れないようにしている。殺されるのもあの気持ち抱くのも二度とごめんだった。
「あの状態のミスラは扱いづらくて困るんだよね。どうにかしてくれない?」
「どうにか、ですか。あ、じゃあ、一緒に精霊馬を作りましょうか」
「しょうりょううま?」
「はい。戻ってくる人のための乗り物を作るんです。野菜と木の棒で馬と牛を作ります」
 行きは足の速い動物を作る。速くこちらへ来られるように。帰りは足が遅く、物をたくさん運べる動物を作る。おみやげをたくさん持って、できるだけゆっくりとあちらへ帰らせるために。そんな説明を聞いてもよくわからずオーエンは首を傾げた。
「野菜と木の棒で……? どうやって?」
「それはやってみてのお楽しみということにしておきましょう。俺は野菜と棒の準備をするので、オーエンはミスラを誘ってきてください」
「なんで」
「ミスラに声をかけたそうにしているので。ミスラを元気づけたいってさっき言ってたじゃないですか」
「してない、そんなこと言ってない」
「これも今後のための練習ですよ、オーエン」
 今後、と聞き返せば、そうですと賢者は頷いてみせた。
「数十年、数百年後、もしかするともっとその先でもミスラはあんなふうに暗い表情になってしまうかもしれません」
 ミスラにどれほどの自覚があるのかはわからないが、チレッタは彼にとってことのほか大切な存在であったことは明白だ。十五年経っても亡くなったことをまだ受け入れきれない彼に、あとどれだけの時間が必要なのかわからない。
「そんなときに、誰か声をかけてくれる人がいるといいなって思います。長くミスラのそばにいられる人が声をかけてくれたら……って。オーエン、お願いします」
「僕に面倒事を押しつける気なの」
「適任だと思うからですよ。それに俺は、ここに長くいられませんから」
 彼が人間である限り、異界からの客人の賢者である限り。この世界にいられるのは十五年よりももっとずっと短い時間だ。寂しげに笑む賢者から視線を逸らしてオーエンは答えた。
「……行けばいいんでしょ」

「ミスラ」
 オーエンの声を聞いてミスラは視線を下げた。こんにちはという声にはいつも以上に覇気がない。近寄っていって彼の隣に腰を下ろしたオーエンにミスラは目を瞬かせる。
「何ですか」
「別に。何してるの」
「別に、ぼんやりとしてるだけです」
 そう言ってミスラの視線は再び空へと向かう。緑色の瞳は陰っている。かつてを懐かしむような、大切な誰かをいとおしむような、戻らぬ事実に傷ついているかのような。嫌な瞳だとオーエンは思う。オズに次ぐ強さを誇る、北のミスラに似合わない瞳だ。
「賢者様の世界だと、この時期は死んだ人が帰ってくるらしいですよ」
 ふたりしてしばらく黙り込んだ後、ミスラは口を開いた。
「知ってる。お盆っていうんでしょ」
「俺には関係ないって思ってたんですけど、いや関係あるなって思い出したんです。あの人は亡くなっているので。いまだに信じられないですけど」
 ミチルを産んで亡くなったという北の大魔女チレッタ。一千年を超えて生きる自分たちにとって、十五年という歳月は、知人に少しの間会わなくなったくらいの感覚だ。
「むかむかして会わなくなったなんてよくあったので、そろそろ会いに来る頃かなって思うことがあります。それからすぐに、もうあの人は会いに来ないんだなって思い出すんですよ」
 またひとつため息をつき、ミスラはゆっくりとオーエンの方へ視線を戻した。
「それで、何の用ですか」
「精霊馬作るよ」
「なんですか、それ」
「野菜に棒をさして、死んだ人のための乗り物を作るんだって。その女に準備してやったら」
「チレッタにですか。あの人は箒で帰って来そうな気がします」
「じゃあ箒でも作れば。行くよ」
 オーエンは先に腰を上げて歩き出す。ミスラも後を追いかけるように立ち上がった。すぐに追いついてふたりで並んで歩く。
「チレッタは」
 ミスラは先ほどと同じくチレッタの話題を出す。しかし幾分かその表情は明るく見えた。
「来るときも帰るときも忙しなかったんですよ。ぱっと来て、さっさと帰って。かと思えばひょっこりと戻って来たりして。気まぐれなんですよ。だから行きも帰りも箒がいいかもしれません。遅いと怒るでしょうし」
「そう。じゃあそうしたら」
「オーエン」
「何」
「ありがとうございます」
「……何に対しての礼?」
「……さあ? なんでしょう……?」
「わけのわからないお礼を言うくらいなら、さっきみたいな、陰気くさい顔するのやめてよ」
 ただでさえ暑くて気分が悪い。その上おまえが暗い顔をしていては、うっとうしくてしかたないのだから。

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