幸せチョコレート(オエミス)

 さて、どうしようか。昨夜の可愛らしいお客様ふたりにあげた分で最後だと思っていたが、もうひと組分残っていた。自分と彼とで食べ合ってもいいが、込められた思いや願いを考えると迷ってしまう。
 とりあえずそれを棚にしまおうと手に取った瞬間、バーの扉が開き、暇つぶしに来たという客が現れた。

 それからしばらくして来客がもうひとり。
「おや……あなたがいらっしゃるとは。珍しいですね、オーエン」
 シャイロックは磨いていたグラスをテーブルへ置いた。今日は昼間からバーが開いていた。先客もいるがオーエンの目には入らない。
「何をお望みでしょう。あなたもカクテルを?」
「お酒はいらない。チョコレートがあるんでしょ。出してよ」
「おや、その話をどこで耳にしたのですか?」
「ミチルとリケが言ってた。それはもうおいしくて、甘くて幸せで、ふたりで分け合って食べたんだって」
「ふふ、くれぐれも秘密と言ったのですけど」
「それで、出すの? 出さないの?」
「そうですね。あれは来店いただいたお客様のために仕入れたもの。お望みでしたら、まずはお客様らしく席についていただかないと」
 シャイロックの言葉を受け、オーエンは渋々といった様子で腰を下ろす。どうぞ、と目の前に出されたのはエルダーフラワーソーダ。爽やかな香りに誘われて思わずそれを手に取る。口をつける前にはたと気づいてオーエンは尋ねた。
「何も頼んでないんだけど?」
「あちらのお客様からですよ」
 シャイロックが指し示す方へと視線を向ける。その先には気だるげに椅子へ腰をかける女性が一人。花に例えるならばユリの花か。朝露に濡れて咲いているかのような、しっとりとした美女がオーエンを見つめていた。人間であれば、彼女と視線が合うだけでのぼせ上がるのかもしれない。微笑みなどされたら心を奪われてしまうかもしれない。だがオーエンにはその女性の正体など最初からお見通しだった。エルダーフラワーソーダをひと口飲んでから、オーエンは呆れたようにして言う。
「何してるのミスラ」
「おや」
「……はあ」
 ため息をこぼしてミスラはグラスの中の酒を一気にあおった。そして空になったそれを片手に席を離れ、オーエンの隣へ移動した。つまらない、とつぶやいて、頬杖をつきながらグラスをもてあそぶ。
「どうしてわかったんです。完璧に形を変えたと思うんですが」
「大して変わってないよ」
 髪の長さを変えたついでに色も変えてしまえばよかったのに。たとえ吹雪の中でも目立つであろう赤い髪はあまりにも見慣れすぎていた。またひとつため息をこぼし、ミスラは変身を解いて元の姿に戻る。仏頂面のミスラに微笑みかけてシャイロックは口を開いた。
「やはり見抜かれましたね。この勝負は私の勝ちです」
 勝負という言葉に首を傾げるオーエンの隣で、ミスラはシャイロックの言葉に幼な子のように唇をとがらせる。テーブルに硬貨を置いてから、恨めしげにオーエンを睨みつけた。
「どうしてくれるんですかオーエン。負けたじゃないですか」
「責められても困るんだけど。それに勝負って何?」
「暇つぶしにシャイロックと勝負をしてるんですよ」
 あることについて結果を予想し、予想を的中させた方を勝ちとする。ミスラが勝てばとっておきのカクテルを一杯、負ければ硬貨を一枚差し出す。ふたりはそういった条件で勝負をしていた。
 今回であれば、オーエンは女性が魔法で姿を変えたミスラだと気づけるか。ミスラは見抜けない、シャイロックは見抜けると予想した。結果は先の通り。見抜くと予想したシャイロックが勝ち、負けたミスラは硬貨を差し出した。
「これで二回負け……力ずくで勝つっていうのはありですか」
「おや、それはルール違反ですよ、ミスラ。それでは勝負の意味がなくなってしまいます」
「もう勝てればいいです」
 すっかりむくれているミスラをなだめつつ、シャイロックは最後の勝負にしましょうか、と持ちかけた。
「今回の報酬はこちらにしましょう」
 そう言ってシャイロックが棚から出してきたのは箱。開けると中に入っているのはチョコレート。それを見たオーエンは身を乗り出してきた。
「もしかしてそれが」
「はい、あなたがお求めのチョコレート、西の魔女が作った珠玉の菓子である『幸せのチョコレート』です」
「変な名前。でもおいしそう」
「それが次の報酬なんですか? カクテルは?」
「勝負が終わった後に出しますよ。勝敗関係なく。そろそろおあずけしているのが心苦しくなって来ましたからね」
「そうしてください。それで? 何を予想しますか?」
「簡単なものにしましょう」
 そう言ってシャイロックはテーブルに置かれた硬貨をひとつ手に取る。
「今から硬貨を投げますから、表か裏かを答えてください。当てることができたらあなたの勝ち。報酬はあなたのものです」
「何回勝負です?」
「一回勝負です」
「負けたら何を出せばいいんですか」
「何もいりません。ただ報酬がないだけです」
 そのやりとりの後、オーエンが口を挟む。
「僕も参加していい?」
「ミスラへの助言という形であれば構いませんよ。一応、私とミスラの勝負ですので。もしミスラが勝った場合には、ふたりで報酬は分け合ってくださいね。では、準備はよろしいでしょうか。行きますよ」
 ぴんと指で弾かれた硬貨はシャイロックの手の甲に落ちる。どちらかの面かを確認する前にすっともう片方の手が隠した。確率は二分の一。
「さあ、表か裏か。どちらでしょう」
「……裏ですかね、わからなかったのでもうそれでいいです」
「ちょっと、適当に選ばないで」
「じゃあオーエンはどっちだと思いますか」
「表」
 オーエンの表情は真剣そのものだ。菓子がかかっているからだろう。そんなときのオーエンの言葉は信頼できると思われる。
「決めるのはミスラですよ。どうしますか」
「じゃあ表で」
 それでいいですか、という確認にふたりは頷く。では確認しましょう。そう言ってシャイロックは手をどける。ふたりは食い入るようにそれを見つめる。手の甲の上で、硬貨は表側を向いていた。
「やった」
「俺の勝ちですね」
「おめでとうございます、ミスラそしてオーエン。では報酬をお受け取りください」
 差し出された箱を受け取り、ミスラはチョコレートを手に取る。その隣でオーエンがミスラの袖を引いた。
「僕にもちょうだい」
「はあ、仕方ないですね」
 欲しがるオーエンに、ミスラはチョコレートをひとつ分けてやる。オーエンが口に入れるのとほぼ同時に、ミスラもチョコレートをひとつ口の中へ放り込んだ。ふたりの表情がぱっと明るくなったのもほぼ同時だった。
「おいしい」
「おいしいですね」
「それはよかった。仕入れた甲斐があったというものです」
 オーエンがまたひとつチョコレートを手を伸ばす。ミスラはそれを咎めず、自分の分をマイペースに食べている。自然とチョコレートを分け合う形となった。黙々と食べるふたりを見守りながら、シャイロックは問いかけた。
「幸せのチョコレートにまつわる話はご存知ですか?」
 その問いに対し、ミスラとオーエンは首を横に振った。
「ではその話をさせてください」
 幸せのチョコレート。それは西の国の魔女が作った菓子。思いと願いを込めて作る珠玉の菓子。幸せという言葉に、彼女の切実な思い、願いが込められていることはあまり知られていない。
 彼女は魔女としてひっそりと暮らしていた。菓子を作るのが得意で、家族や友人らによく振る舞っていた。大好きな人とチョコレートを食べる時間を彼女はこよなく愛した。
 しかし幸せな日々も終わりがやってきた。暮らしていた地方で争いが起き、長く混乱が続いた。その中で彼女は家族や友人を次々と失ってしまった。ひとり生き延びてしまった彼女は悲嘆に暮れた。
 そんな彼女の心をなぐさめたのは菓子であった。そして彼女は同じように悲しみの淵にいるものたちを元気づけるため、菓子を作り始めた。やがてその菓子は広く親しまれるようになると、彼女は強く願うようになった。
 ともに菓子を食べる幸せを感じてほしい。
 菓子を分け合い、幸せを分かち合ってほしい。
 おいしいという気持ちを共有してほしい。
 だからどうかこのチョコレートを分け合って。
 そして分け合って食べ合うふたりの縁が数百年続いてほしい。
 このチョコレートにはそんな思い、願いが込められている。効果はあるようで、分け合ったふたりの縁は実際に長く続いているという話をよく耳にする。
「以上が、幸せのチョコレートにまつわる話です」
 シャイロックの話を聞き終えたふたりは顔を見合わせた。そしてすぐさま箱の中のチョコレートの数を確認する。ちょうど残り一個だった。
「最後の一個は僕のだからね」
「なんですか急に。これは俺のですよ」
「馬鹿だな。こうやって奪い合えば効果はなくなるはずだよ。分け合うんじゃないんだから」
「確かにそうですね」
「ふふ、さあどうでしょう。さっきまで分け合っていたでしょう? 彼女の思いはとてつもなく強力ですよ。それはもう、呪いともつかないほど。そんな彼女に勝てますか?」
「勝てるに決まってるでしょ。甘く見ないで」
「俺は強いですからね。さあ、奪い合いましょう、オーエン」
「絶対負けない」
 その宣言はどちらにあてたものか。はたして対立しているのか協力しているのか。もはやわからない。最後の一つを奪い合い始めるふたりを、シャイロックは楽しげに見つめていた。

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