ずきずきとした痛みに苛まれながら目を覚ます。すでに朝、起き上がれば痛みはさらに増した気がした。そっとシュガーを口に放り込み、かみ砕いていくといくらか痛みは引いたような気がした。気がしただけで調子は戻らない。
風邪か、疲れか、いずれにせよ今日はゆっくりと過ごすのがよさそうだ。昨日の今日だ。続けて任務が入るなんてことはないだろう。そう考え、オーエンは再びベッドに横になり、眠りにつこうとした。残る痛みをこらえながら目を閉じた瞬間、部屋の窓が勝手に開いた。見るまでもない。あいつが来たのである。
「失礼します」
「帰って」
オーエンの言葉を全く聞き入れない闖入者、ミスラは窓から無理やりに部屋へと降り立った。彼と関わりたくない意思を示すべく、オーエンは寝具を頭から引きかぶる。だがミスラは寝具を引っ張って隠れることを許してはくれない。オーエンとてあきらめず引っ張られた寝具を引っ張り返す。引っ張り合いの中でミスラが不機嫌な声を出した。
「何してるんです、起きてください。もう朝ですよ」
「わかってるよ。わかった上で寝ようとしてるんだよ。さっさと出ていって」
「はあ、俺が寝れていないのに寝るんですか。いい度胸ですね」
「面倒くさい……。今日はおまえには付き合ってられないんだよ。ほっといて」
寝具から手を離し、オーエンはベッドに身を沈める。そしてミスラから背を向けて拒否してみるが、ミスラはなおもオーエンを起こそうと手を引っ張る。
「今日は行かなきゃいけない場所があるんですよ。早く起きてください」
今にも力ずくで連れていかれそうな勢いだ。ああ、もう時間の問題だ。わずかにでも引いたはずの頭痛がまた強くずきずきとし出したような気がする。こんな弱った状態で振り回されたくはない。とりあえず調子は取り戻さなくてはならない。そのためには彼の力を借りるしかない、と考え、オーエンは身体を起こす。
「ねえミスラ、僕をどこかに連れていきたいの? ただってわけにはいかないよ。そうだな、シュガーくれたら考えてあげる」
「そう言われると逆に気が乗りませんね……」
なんで今日に限って天邪鬼になるんだよ、とオーエンはミスラをにらみつけた。
「僕を連れていきたいのかいきたくないのか、どっちなんだよ」
「正直誰でもいいんですよ。けれどブラッドリーはくしゃみしてどこか行きましたし、賢者様と南の国の魔法使いたちは任務ですし、じゃあオーエンだなと思って」
「この……」
むかつく。よりによって消去法というのがむかつく。文句を言おうとするが急に身体のだるさまでもが重くのしかかってきた。息をするのもなんだかしんどくて、でもそれを表には出したくなくて、相反した状態を抱えたオーエンは呻き声をあげた。さすがにミスラも何かしら異変を感じたようだ。
「どうしたんです」
「うるさい……」
ベッドに突っ伏してしまったオーエンからミスラの手が離れた。少しずつ呼吸が乱れていく。困ったな、とぼんやりと考えていると、頭上から静かな詠唱が聞こえた。
「≪アルシム≫」
からん、と音がして、オーエンは顔をあげる。するとシュガーを手にしていたミスラが、オーエンの口へとシュガーを入れた。口の中でそれを転がせばじんわりと、いや、急速に痛みが引いていき、身体のだるささえ瞬く間に消えた。さらに呼吸の乱れも止んだ。いや、ちょっと効き目が早すぎやしないか。
「早……」
「よし、これでいいでしょう。さあ行きますよ」
「あのさ、少しは休ませて……何、その花」
ふと見ればいつのまにかミスラの手には花が握られていた。それには見覚えがあった。魔法舎の庭に咲いている花だ。たまにミスラが水をやっているのも見たことがある。知ってますか、この花、食べるとしびれるんですよ、となぜか報告されたこともある。身体を起こしてオーエンは尋ねる。
「おやつ?」
「手土産です」
「花を手土産って、どこに行くつもりなの」
「チレッタの墓です。そこに供えるんですよ」
「供え……墓?」
チレッタとはすでに亡くなった北の国の大魔女の名。南の国の兄弟の母親。ミスラにとっては簡単に言ってしまえば大切な女性であり、オーエンにとってはできれば口に出したくはなし、関わりたくはないと思っていた存在だ。名前を出したことでミスラに手痛いしっぺ返しを受ける原因となったためである。直接的な関わりは今までもこれからもない。ゆえに墓参りに付き合う義理などない。
「なんで僕がそんなところに行かなきゃいけないの」
「言ったじゃないですか。誰でもいいんです。ただあなたはちょうどよく暇じゃないですか。行きましょう」
「ひとりで行けばいいだろ。それに僕は暇じゃない」
「まあ、いいじゃないですか」
「よくない」
「そういえばルチルとミチルが言っていたんですけど」
「聞けよ」
「この花ならチレッタが喜ぶというんですよ」
任務に行く前に、チレッタの墓を訪ねることを南の国の兄弟へ話したところ、ミスラさんがお世話をした花なら、母様も喜ぶと思いますよ、と感激したように言われたのだという。
「オーエンはどう思います。彼女は喜ぶと思いますか」
そんなこと知ったことではない、とオーエンは吐き捨てた。その女のことをひとつも知らないのだ。何を判断しろというのか。まあ、そうでしょうね、とミスラは変わらず花へ視線を落としている。自分に言えることなどほとんどない、あるのならば。
「僕がその女だったら間違いなく嗤ってやるけどね」
いつだっておまえは自分のために行動する魔法使いだ。
誰かのために行動するおまえなんて、あまりに滑稽で見ていられない。
そんなオーエンの言葉に、そうでしょうね、とまたミスラはつぶやいた。ああ、もう、とオーエンはミスラから視線を外す。伏し目がち、心はここにあらず、意識は彼女のもとへ。そんな状態の彼は苦手だ。下手に触れればまた痛い目に遭う。しばらくふたりの間に沈黙が下りた後、ミスラが思い出したように顔を上げた。
「じゃあ行きましょうか。そろそろ出ないと帰りには暗くなります」
「……行きたくないよ」
「なんですか駄々をこねて」
「こねてない……そんなに僕を連れていきたいなら、僕が行きたくなるように誘ってみたら?」
「今日のあなた、面倒過ぎませんか」
もうそろそろ我慢の限界が来たミスラが暴れ出しそうだが、なんとかこらえているらしい。ため息の後にミスラは口を開いた。
「誰かと一緒に行きたい気分なのでお願いします」
「嫌だ」
「なんというか、あなたでいいので」
「で?」
「はあ……一緒に行くなら、あなたが、いいんですよ」
ミスラの言葉にオーエンは、ぼくが、とつぶやき、瞬きをしてから、うげえと顔をゆがめて呻き声をあげた。
「気持ち悪い……」
「殺します」
「落ち着いてよ、はいはい合格、及第点、だから、ほら、早く行くよ」
気持ち悪い、というのは正直な感想だ。彼が自分を選ぶ、なんて言葉はむずかゆさを超えて、胸やけがした。言わせておいてなんだが、彼の言葉は気まぐれによるものがよく似合う。ミスラの手を引きながらオーエンはそう思った。
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