好きな人と話せたら嬉しいのに
そんなひとのためのこの薬
花に振りかければあら不思議
好きな人の声で花が喋り出す
気になっているあの人の声で
思いを寄せるあの人の声で
ここにいないあの人の声で
さあ、たくさんたくさんおしゃべりしよう
どんなにしゃべったって
そこに実体はないけどね
「……という薬だそうです」
「なんでそんなものを持ってるの」
「シャイロックとの賭けに勝ったのでもらいました。退屈なので使ってみようかと思って」
そう言うミスラはどこか誇らしげに薬をかかげている。瓶の中身はかわいらしい淡いピンク色の液体だ。好きな人の声で花にしゃべらせる薬。なんてくだらない。花壇の前で座り込んで何をしようとしているのかと思えば。何か企んでいるのだろうか、またオズへの嫌がらせかと期待して声をかけたというのに。そう、とだけ言い残してオーエンはその場を去ろうとする。が、腕をつかまれて引きとめられる。
「どこに行くんですか。せっかくなので付き合ってください」
「嫌だよ。くだらないことに付き合わせないで」
「どうせ暇なんでしょう。わざわざ俺に声をかけるくらいには」
「暇じゃない、離せったら」
力比べをしたところで勝てるはずもなく、従わせられる。これが彼との関係だ。いつもそうだ。それが嫌だ。オーエンを離す気のない手をにらみつけるも意味はない。諦めてミスラの隣にしゃがむと、彼は手にしていた瓶のふたを取り、風に揺れる花に薬を少しばかり振りかけた。そしてしばらく待ってみたが花がしゃべり出す気配はない。
「おかしいですね。量が足りないんでしょうか」
ミスラは瓶をひっくり返し、薬を全部花に浴びせかけた。かけすぎじゃないの、とオーエンが言おうとしたとき、花がぶるぶると震え始めた。
「さて、どんな声でしゃべるんでしょうね」
オーエンにはだいたい予想がついている。女の声でしゃべり出すのだろう。時折見せる、感傷にひたるミスラの横顔を思い出す。そして泣かせようとして、しっぺ返しを食らったときの彼の表情を。あの魔女へのミスラの感情はオーエンにはわからない。ニュアンスは違えど、簡単に言ってしまえば好きというものになるのではないだろうか。ならばやがて聞こえてくるのはあの女の声だろう。その声が聞こえたら彼はどんな表情になるのだろう。どんな気持ちを抱くのだろう。懐かしさや恋しさだろうか。うれしさで笑顔でも浮かべるだろうか。そしたら思いっきり笑ってやろう。むなしくならないのか。そこに実体はないのに、と。
そんなふうに考えていると、花の震えが止まった。ついにしゃべり出すのかとふたりは身を乗り出す。
『ごきげんよう! 今日はとってもいい天気! 朝ご飯は食べたかな?』
花から発せられた声は様々な種類のものが入り交じったものだった。老若男女、高い低い、大きい小さい、すべてが重なっている。大人数が一気にしゃべり出したのを聞いているかのようだ。言ってしまえば非常に聞き苦しい。やかましくにぎやかな雑音にミスラもオーエンも顔をしかめる。
「なんですかこれ」
「さあ……」
困惑するふたりをよそに花は一方的にしゃべり続けている。天気の話、最近あった話、笑い話、そしてまた最初の挨拶に戻って、話題も一番初めのものに戻る。声はともかく、一方的にしゃべるだけならあまりにお粗末な出来ではないだろうか。
やっぱりくだらなかったと言い捨てたオーエンは、いつのまにか真剣な面持ちで花を見つめているミスラに気づく。いや、見ているのではない。様々な種類が重なっている声に耳をすませ、探している。
そんなにも恋しいのか、あの女が。オーエンはミスラの横顔を見つめる。そこまで思えるほどの相手とすでに出会っているのが、そこまで思ってもらえる相手がいる女が、少しばかり羨ましく、恨めしく、ずるい。
などと思ったあたりでオーエンは舌打ちして、直前まで浮かんでいた感情を打ち消す。何を考えていたのか。羨ましくなんかない。そうこうしているうちに花から聞こえていた声が小さくなっていき、やがてぴたりと止んだ。
「終わりましたね」
「……そうだね」
「結局聞こえなかったな」
「何、こんなものに期待してたの」
「それなりに。まあ、薬に頼らなくても、聞こうと思えばいくらでも聞けるんですよね」
「は? 何それ」
すでに女は死んでいるだろう。その声が聞けるとはどういうことだ。幻聴でも聞こえるのか。声を閉じ込めでもしているのか。それとも死者を操っているのか。
「幻聴? 死者? あなた、なんの話をしてるんですか?」
「それはこっちの台詞だよ。ああ、もう、おまえ、誰の声を探してたわけ?」
「誰って……あなたの声ですよ」
「は……?」
「よく考えたら、あなたはここにいるじゃないですか。いくらでも話せますから、薬いらなかったなって気づいたんですが」
「……は、いや、おまえ、何言ってるの」
理解が追いついていかない。その薬の効果は何だ。好きな人の声で花にしゃべらせること。なぜ自分の声を探した。もしかしてミスラは。いや、まさか。
動揺するオーエンをよそに、ミスラは瓶を放り投げ、大あくびをこぼした。
「……まあ、それはそれとして、眠くなってきましたね。どこで寝ようかな」
「……おまえのそういうところがさ……」
動揺した自分が馬鹿馬鹿しくなってきた。本気か気まぐれか全くわからない。振り回されたという事実が残り、オーエンは唇を噛んだ。いつか殺す。いや今殺す。魔法を唱えようとしたところで姿を見せたのはシャイロックだ。
「ミスラ、ここにいましたか。ああ、オーエンも一緒だったんですね」
「何の用です?」
「昨夜渡した薬ですが、未完成品の方を渡してしまいましたので、交換をと思いまして」
オーエンは足元に転がっていた空の瓶を拾い上げ、書かれていた文章を読む。
好きな人と話せたら嬉しいのに
そんなひとのためのこの薬
花に振りかければあら不思議
好きな人の声で花が喋り出す
気になっているあの人の声で
思いを寄せるあの人の声で
ここにいないあの人の声で
さあ、たくさんたくさんおしゃべりしよう
※ただしこれは未完成品なので老若男女混ざった声がします。
※完成品はちゃんとひとりの声で話すようになる予定です。
「……らしいよ」
「はあ……どうりで……」
「こちらの手違いで申し訳ありません。こちらが完成品の方です。どうぞ」
そう言ってシャイロックはミスラに瓶を手渡した。それを受け取ったミスラはしばらく瓶を揺らすなどしてもてあそんでいたが、シャイロックへと返した。
「返します」
「おや、いいのですか?」
「はい。薬がなくても声は聞けますし、話せますから」
そう語るミスラの視線が自分に向けられていることに気づき、オーエンはそっぽ向いた。
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