言はねばこそあれ(ヤマ独)

 思ひ出づるときはの山の岩躑躅
 言はねばこそあれ恋しきものを(古今和歌集)
 
 初夏のような陽気が続くこの頃。一部の英傑たちはひそかに独神への贈り物の準備をしているらしい。
 なんでも近々「母の日」というものがあり、その日に、母のように慕う独神へ感謝の気持ちを伝えたいという。
 独神は英傑たちをむすび、彼らを統べる存在であり、いかなる英傑をも受け入れ、慈愛に満ちた存在でもある。彼女を「母」とするのもあながち間違いではないだろう。
(まあ、俺は母だとは思わないけどな)
 ヤマトタケルは内心ひとりごちる。とはいえ、独神へ感謝の贈り物をするということには賛成だ。これまで何度となく彼女から気にかけられ、助けられている。これを機会に自分も贈り物を渡し、日頃の感謝を伝えよう。
 問題は何を渡すか、である。おそらく何を渡しても主は喜んでくれるだろう。気負うことはない。とはいえ、どうせ渡すのならば、他の英傑たちと重ならない贈り物がいいと思う。そしてできればとびっきりの反応を見せてくれる方がいい。そんな贈り物は何があるだろうか。とりあえず参考までに他の英傑たちに探りを入れてみようか。

「そりゃあ、酒に決まってるだろ!」

「もちろんワタシの手料理よ! いつもより腕によりをかけて、もっともっと主ちゃんに喜んでもらうんだから! せっかくだから味見しても……もう! どこに行くのよ!」

「僕はこの笛の音を。美しい月夜の下、静かな時を主様に捧げたいのです」

 その他、手紙や衣、書物など、それぞれの得意としているものを活かして準備し、渡すつもりでいるようだ。
(俺の得意としていることで、主が喜ぶもの……何だ?)
 女装だろうか。おそらく反応は上々、笑ってくれるとは思うが、感謝の気持ちを伝えるのにそれでいいのかという疑問が生じる。常日頃の感謝を伝えることができ、彼女の笑顔を見ることができるようなものというと、なかなか思いつかない。
(そもそも、俺は主を笑わせ、いや、喜ばせられるのか?)
 そこそこの付き合いとなれば、彼女の笑顔にも種類があることは気づいている。心からの笑顔、気を遣った笑顔。見たいのは前者だ。だがその笑顔を引き出せるようなものを自分は贈れるだろうか。もし後者であれば、万が一、笑いすらしてくれなかったら。だんだんと不安ばかりがふくらんでいく。
 自分の部屋で悶々と考え込みながら、ヤマトタケルはため息をついた。こんな状態ではいい案も出ない。気分を変えるために庭先に出ると、花が今を盛りと咲いていることに気づく。目にも鮮やかに咲き匂うつつじの花は、この時期がちょうど見頃である。今年もこの季節が、と思ったところで、思い出したことがある。
 あれは去年のこと。主とふたりで庭先にいたときのことだった。
『見て、ヤマト。花が咲いてるよ、綺麗だね』
『……ああ、そうだな』
 目を輝かせる独神をよそに、ヤマトタケルはそっけない返事をしていた。当時はまだ何と返せばよいのかわからなかったのもある。そんな反応も気にすることなく、独神はつつじの花の方へと近づいていき、しゃがんで花を眺めていた。
『つつじの花、綺麗だね。本当に綺麗……』
『……主は、花が好きなんだな』
『うん、好きだよ。花はどれも好きだけど、特につつじの花が好きなんだ。鮮やかで綺麗でしょう』
 そう言って笑んだ独神がなんだか眩しくて目を逸らした、そういうことがあった。そういえば彼女は言っていた。つつじの花が特に好きだと。
(そうか、これだ)
 つつじだ。何かを贈るならば彼女が好きなものがいいだろう。彼女もきっと笑ってくれる。さっそく咲いている花を摘んで、いや、せっかく咲いているのを手折るのは気が引ける。庭先の花の世話をしているのは独神というのもある。
 どうするべきか、と考えていると、部屋の襖が勢いよくスパンと開いた。慌てて部屋の方と振り返ると、独神がそこにいた。何やら顔を曇らせて、ずんずんとヤマトタケルの方へと近づいていく。
「あ、主?」
 庭先に降りて、独神はヤマトタケルの顔をがしっと掴み、じっと彼を見つめる。一体何なのか。独神は何も語らない。この時間はなんだ。彼が困惑を隠せないでいると、何やら安堵し、納得したように独神はヤマトタケルを解放した。
「よかった。元気な顔してる。さっき、なんだかヤマトが落ち込んでるような気が漂ってきたから、心配になって」
「そうか……」
 確かにさっきまで不安な気持ちにはなっていたが、漂うほどだったのか。
「元気ならよかったよ」
 そう話す独神が纏う服にふとヤマトタケルは目を留める。柳色の衣は落ち着いた印象を与えるが、人目を引くという色合いではない。飾りはなく、全体的に素朴な装いである。化粧にしたてに飾り。女装しているときの方が派手にしているような気がする。せめて髪に何かを飾れば違うような気がするのだが。
「主は、何か飾りをつけないのか?」
「え?」
「え? いや……」
 聞き返されて、言葉が声に出ていたことに気づき、ヤマトタケルは口ごもる。しかし独神はさほどこだわらず、さらりと返答してくれる。
「飾りね。そういうの興味がないわけじゃないんだよ。機会があれば何かちょっと飾りたいなとは思ってるんだけど、何が合うかわからなくて」
 その答えに目を丸くする。てっきり着飾ることに興味がないのだと思っていたが違ったらしい。ならば装飾品を贈っても構わないのではないか。そんな考えに至ったところで、八咫烏の声が聞こえてきた。
「主様〜。どちらにいらっしゃいますか〜」
「あ、いけない、そういえば報告を聞くんだった」
 じゃあね、と去っていく主の姿を見届けてから、ヤマトタケルは部屋に戻り、そのまま廊下へと出た。
「よし」
 贈り物は決まった。すぐにでも町へ行って頼んでこよう。彼女が喜んでくれるなら多少手間がかかっても構わない。そう思うのだ。

「まあ! ヤマトタケル様! いらしてくださったんですね!」
 そう言って店主はにこやかに出迎えてくれた。この店にはしばしば立ち寄っており、女装の際に身につける装飾品を買いに来ている。なかなか品揃えが良く、店主の人柄もあって気に入っている店である。
「今日は何をお求めでございますか?」
「髪飾りを探しているんだが……つつじの花の飾りは置いていないか?」
「つつじ、ですか。うーん、つつじの飾りは扱っておりませんねえ……」
「そうか……作ることはできるか?」
「今から作るとなると、少々日数をいただくことになりますけれど……お急ぎですか?」
「いや……いや、そうだな……どう、なんだろうな……?」
 要領を得ないヤマトタケルの返答に店主も首を傾げてしまう。そこまで急いでいる、焦っているというわけではないが、長く待たされても構わないというわけでもない。とはいえ、満足のいく贈り物をするためなら、多少待ってもいいと思うのは確かなのだが。
「あのう、ヤマトタケル様? もしやどなたかへの贈り物、でございますか?」
「まあ、そうなんだが」
「まあ! まあまあまあ! どなた様ですか? もしやもしや、独神様、でございますか?」
「な……」
 何でわかるんだ、という反応を見せれば、まああああ! と店主はさらに弾んだ声を上げた。他の客からの注目を浴びてしまい、さすがに居心地が悪くなる。
「……店主」
「……こほん、失礼いたしました。贈り物でございましたら、私も気合を入れましょうとも! 少々日数をいただきますけれど、大丈夫でございますか?」
「大丈夫だ」
「よろしいでしょう。ならばさっそく打ち合わせをいたしましょうか。大きさ、色、咲き具合、質感、素材……。作るにあたって、聞きたいことがございますから! 贈る方への思いなども聞かせていただきましたら……うふふ、大変捗りますわ!」
 最後は好奇心からくるものではなかろうか。
 
 さて、そんなことがあってから、数日後。。
(主に髪飾りを渡そうって日に、雨に降られるなんてな……)
 しかめ面になりながら、ヤマトタケルは町から帰ってきていた。
 主に気づかれぬようにこっそりと部屋を出て、町に行き、注文していた髪飾りを取りに行った。
 注文していた品はよくできていた。目にも鮮やかな薄紅色のつつじの花の髪飾りは、本物と見間違えそうになるほどに精巧だった。これなら彼女も喜んでくれるだろうと自信をもって言えるほどだった。
『頑張ってくださいね! 渡すときは素敵な言葉で思いの丈を伝えるのでございますよ!』
『髪にそっと添えるようにして渡すなんてのも素敵じゃないかい?』
『えいけつさまがんばって!』
 店主と大人数の客からの熱烈な応援を背に、ヤマトタケルは足早に店を出て行った。
 髪飾りは懐にしまい、さあ急いで戻ろうとした矢先ににわか雨だ。ついていない。飾りはなんとか濡れずに済んだのが幸いではある。
 うっとうしげに濡れた髪をかきやりながら、ヤマトタケルは主がいるであろう八尋殿へと向かった。彼女は不安げな表情で外を見つめていたが、ヤマトタケルに気づいて駆け寄ってきた。慌てた様子で濡れた頬や髪に触れてくる。
「ヤマト、戻ってきたんだね。ああ、やっぱり濡れてる……」
「大して降られてはいないさ」
「そうは言うけど、結構濡れてるじゃない。はい、そこに座ってて、拭いてあげるから」
 ヤマトタケルは大丈夫だと言葉を重ねようとしたが、独神に退く様子はない。素直に甘えることにしよう。ため息をついて、ヤマトタケルはその場に腰を下ろした。おとなしく拭かれていると独神が尋ねてきた。
「ヤマトはどこに行っていたの?」
「町に行っていた」
「ああ、やっぱり」
「やっぱり?」
「カァくんとそういう話になってね。どこにもいないっていうから、またひとりで出かけたんだって思ったんだ。それで、町に何をしに行ってたの? 買い物?」
「ああ、頼んでいたものが……」
 懐にあるものを渡そうとして、不意にヤマトタケルは言葉を止めた。独神は彼が見ている方へと振り向く。ヤマトタケルの視線の先には黄金色の花があった。
「あれは、山吹か?」
「え? ああ、うん、そうだよ。この前、ジライヤからもらったんだ。綺麗な花だよね」
 なんとも嬉しそうに笑みをこぼす独神に対し、ヤマトタケルの表情は険しくなった。彼女の部屋に飾られている山吹の花を睨み始める。
 急に無言になった彼に気づき、独神は首を傾げている。ふたりの間に沈黙が下りた。先に動いたのはヤマトタケルだった。
「主」
「え?」
「受け取ってくれ」
 そう言ってからヤマトタケルは懐からつつじの花の髪飾りを出し、独神へと差し出した。主は驚いた様子で目を丸くさせている。そのまま動かず声も出さず、受け取る姿勢にはならない。予想と反応が違う。わあ、などと声を上げて、すぐに受け取って、ありがとうと言ってくれると思っていた。彼女は何でも喜んでくれると思っていた、のだが。
(……ああ、そうか)
 不安に思っていた「万が一」のことが今起きているのだと確信した。この髪飾りはお気に召さなかっただろうか。自分からの贈り物は嫌だったろうか。山吹を見て、負けられないという強い感情に突き動かされて、何も考えずに差し出してしまった。それがいけなかったのだろうか。やはり本物の花がよかったのだろうか。
 何にせよ失敗ということである。そう思って差し出していた手を引っ込めようとしたところで、待って、と主に手を掴まれる。
「ねえ、ヤマト、これを、私に?」
「ああ……」
「本当に、私に? ……嬉しい! ありがとう!」
 そう言って独神は顔をほころばせ、髪飾りを受け取ってくれた。急激な展開に気持ちがついていけず、ヤマトタケルは主の様子をうかがう。笑顔を浮かべてつつじの花の髪飾りを見つめているのを見ているうちに、ちゃんと彼女は喜んでくれているのだと、じわりと胸に温かいものが広がっていくような気がした。その感覚がむずかゆくて、ため息をひとつこぼす。それでもむずかゆさは消えず、なんだか落ち着かない。
「ありがとう、ヤマト。嬉しいし、びっくりしちゃったよ。これ、すごく色鮮やかで綺麗だね。私、つつじの花が一番好きなんだ」
「ああ、知っている。前に言っていただろう」
「あ、覚えててくれたんだね」
 嬉しいな、と独神がさらに笑みを深くする。
「驚いたなあ……ヤマトから贈り物をもらえるなんて思わなかったよ」
「主に、感謝の気持ちを伝えたくなった。たまにはそういうのもいいと思ったんだ」
 そんなヤマトタケルの言葉に、独神は再び目を丸くさせた。そして彼を案じるかのような表情でそっと尋ねてくる。
「ねえ、ヤマト。何かあった? 体調とかも大丈夫?」
「……心身ともにすこぶる健康だが? なんだ、俺が感謝を伝えるのがそんなにおかしいか?」
「だって、ヤマトはかなり面倒臭がりでしょう? こういうこと、何かない限りはしないかなって」
「……主は俺をなんだと思っているんだ」
「ご、ごめんなさい?」
 多くの英傑の中でも、八傑のひとりであるヤマトタケルは、主との付き合いはそこそこに長くなっている方だ。そう自負していた。こちらから言わずとも主は細かなところに気づき、気にかけてくれている。主は自分のことをよく理解してくれている。そう思っていた。
 だが、彼女に伝わっていない部分もあったのだと突きつけられた。言葉にしなければ伝わらない、というところだろうか。
 ならば今日この時、言葉にして伝えよう。
「いいか、主。俺が面倒ごとを嫌っているのは事実だが、たまに面倒なことも悪くないと思えることがある」
「そうなの?」
「そうだ。……例えば主に関することなら、多少は動いてもいいと思える」
 そう語りかけながら、ヤマトタケルは主の手から髪飾りを取り、彼女の髪へと添える。今を盛りに咲くつつじの花は彼女によく似合う。山吹よりも何よりも。
「覚えておいてくれ、俺はな、主」

 思ひ出づるときはの山の岩躑躅
 言はねばこそあれ恋しきものを
 
 恋しく思っている。
 言わないだけだ。

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