語るも語らぬも(アベ穹)

 ふと、以前読んだ小説の一節を思い出した。
 好奇は傲慢、暴くは欲望。
 ならば、愛は?
 
 説明は省くが、今日は色々あった。というわけでもうくたくただ。湯船につかりたい気もするが、そんな気力もない。シャワーだけでいい。穹は手際よく髪を洗い、顔を洗い、身体を洗って、全身をシャワーで流して終了。風呂場から出て身体をタオルで拭きあげる。髪はフェイスタオルでがしがしと乱暴に拭きながら、穹は部屋に戻っていく。
 穹が部屋に戻ると、アベンチュリンはまだ起きていた。横にはならず、ベッドに腰を下ろして彼を待っていたらしい。やって来た穹に気づくと、隣においでと手招いた。穹はそれに素直に応じて、アベンチュリンの隣に腰を下ろした。はずみで互いの肩がぶつかり、アベンチュリンはびくりと身体を震わせたが、穹は特に気にしたふうはなかった。タオルを首にかけたまま、スマホを取り出し、ゲームを始める始末である。ため息をついたアベンチュリンがうらめしそうな声を出す。
「……星核くん」
「どうした?」
「何してるんだい……」
「今日のログインボーナス受け取ってなかったと思って。一日お前と遊んでて暇がなかったし。よし、明後日にはガチャできるぞ」
 そう言って穹はゲームを閉じてスマホをテーブルに置き、アベンチュリンの方へと向いた。
「お待たせ。で、何か話したいことがあるのか? ないなら寝るぞ」
「あるよ。あるから、まだ寝ないでくれ」
 了解、と言って穹は大きく伸びをした。そしてアベンチュリンの顔を覗き込んで言葉を待つが、なかなか彼は口を開かない。そして視線は下に向いたまま。カチカチと時計の音が部屋に響いている。徐々に眠気が訪れて、ふわあとあくびがもれた直後。アベンチュリンはようやく口を開いた。
「……君は」
 アベンチュリンの手が穹のそれと重なる。手が震えていることに気づいたが、穹は指摘しないでおいた。あまりにも彼の横顔が深刻なものだったので。もう一度、君は、とアベンチュリンは言った。
「子どもの頃を覚えているかい」
 穹は目を瞬かせてうつむいた。そして首を横に振った。
「覚えてない。そもそもあるかもわからない。ヘルタで目が覚めてからが、俺の語れる物語だよ」
「……そう。じゃあ君の番だ。僕について何か知りたいことは?」
 そう尋ねるアベンチュリンは穹と視線を合わせないままだ。穹の視線は彼の横顔からアベンチュリンの首筋へと移る。
「……そうだな」
 もう片方の手で穹はアベンチュリンの首に刻まれた痕に触れた。その瞬間、アベンチュリンの全身が大きく震えた。ごめん、と謝罪して、穹は手を離す。震えがおさまるのを待ってから、穹は問う。
「そこは、もう痛くないのか?」
 ようやくアベンチュリンの瞳が穹の方へと向いた。その瞳はまた揺れている。もはや容易く読み取れる感情は見ないふりをしておく。ため息をこぼしてから、アベンチュリンは答えた。
「ご心配ありがとう。……痛くはないよ」
 その答えを聞き、そうか、と穹はひとつふたつと頷いた。
「じゃあ、あとはいいや」
 穹の言葉にアベンチュリンは肩すかしを食らったような顔をする。つん、と自身で首をつついてみせる。
「……もっとこれについて、知りたいと思わないのかい?」
「そんな顔じゃなかったら、聞いてたかもな。顔に書いてある、言いたくないって」
 相手のことを知りたい。それは当然行きつくことだろう。やがて相手の全てを知りたいと思うこともあるだろう。だがそれは傲慢とも、乱暴ともなるのではないだろうか。知られたくないと少しでも思うことまでも知りたいとは思わない。相手が話したいと思うことは聞くが、無理に話すことはしなくてもいい。秘密を暴くようなことは決してしたくない。
「だから、いらない」
 そんな答えを聞き、アベンチュリンが目を瞬かせた。そして次の瞬間、うめき声を上げながら、ベッドに背中から倒れ込んだ。ぎょっとして穹はアベンチュリンの顔を覗き込む。
「アベンチュリン? 大丈夫か?」
「……ああ、もう」
 手で顔を覆って、アベンチュリンはうらめしげな声を出す。
「せっかく覚悟をしていたのに、君が戻ってくるまでの間、自分のことをどう話そうかと考えに考えていたのに、どうしてくれるんだい?」
「いや……別に話さなくてもいいだろ。俺、知りたいって言った?」
「言ってない」
「言ってないよな? どうして話す気になったんだ?」
「……今後君と一緒にいるのなら、言わなければならないかと思って。それが信頼の証明になるかと思って」
 いや、どうしてそうなるんだ。何かを差し出さなければ何かを得られないと思っているのか。仕事はそうだろうけれど、これは違うだろう。そんなことを思いつつ、穹はアベンチュリンの手を剥がしていく。やがてあらわになった顔は安堵やら羞恥やらでぐちゃぐちゃだ。つい笑いをこぼしながら穹はアベンチュリンの手を握って語りかける。
「そこまで差し出さなくても、一緒にいるよ」
「……それじゃ気が済まないんだけれど、どうしたらいい?」
「頑固だな! でも落ち着かないっていうなら……何かもらわなきゃいけないか……どうしようかな」
「命を賭けて永遠を誓おうか?」
「重くないか!? もっと軽くでいいって!」
「例えば?」
 それはな、と言葉を一度切ってから、えいっと穹はアベンチュリンの上に倒れ込んだ。急にのしかかられて、再びうめき声を上げた彼を抱きしめてやる。困惑の表情のままのアベンチュリンに穹は告げた。
「俺のこと好きって言って。それでキスのひとつでもしてくれよ」
 それだけでいいからさ、と穹はアベンチュリンの頬に口づけを落とした。
 
 ふと以前読んだ小説の一節を思い出した。
 語るも語らぬも、また愛だろう。

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