またおいで(アベ穹※現パロ)

 日差しはギラギラというにはやさしく、うららかというにはまぶしすぎる。昼に近づき、気温もずいぶんと上がってきている。もう暑い。たらりと垂れた汗を拭う。そして着ていた上着を脱いで、アベンチュリンは自宅アパートへの道を歩いていた。
 暦は五月。初夏というにはまだ早い。しかし半袖で過ごしても良いくらいの気温だ。葉桜になり、少し暖かくなってきたな、と思った矢先に、一気に夏を思わせる陽気となるあたり、この頃の気象は人間の適応力を過信している。まあ、気象に文句を言っても仕方がないのだけれど。
 アパートに到着し、通路を歩いて部屋の前。アベンチュリンは鍵を回して気づく。もうすでに鍵が開いている。ドアを開けてれば玄関にはくすんだ色のスニーカーが置かれていた。そしてリビングにつながる戸が開いて、ひょっこりと友人が顔を覗かせた。その手にはコップと土産でもらったリンゴジュースの瓶。
「おかえりアベンチュリン。リンゴジュース、いただいてまーす」
 そう言って彼はぐいっとジュースを一気に飲む。
 彼の名は穹。三駅向こうの街に住む大学生。この部屋の合鍵を持つ、アベンチュリンのおともだちである。

 シャワーで汗を流し、アベンチュリンがリビングに戻ると、穹はジュースを飲みながら本を読んでいた。テーブルにはレポート用紙と文房具が置かれている。
「課題かい?」
「そう。読んで感想をまとめろって。レポート用紙四枚、手書きで」
「今の時代に手書き?」
「不正防止だってさ」
「大変だねえ……」
 そう言いながらアベンチュリンは向かい側に座った。穹は彼に目もくれず、課題の本に夢中である。時折レポート用紙にメモ書きをしているくらいでその視線は本に向いている。アベンチュリンは学生時代を思い出しつつも、今日もちょっと退屈だな、と穹を恨めしく見つめる。
 来たくなったら、会いたくなったらおいで、と言って合鍵を渡したのはアベンチュリンである。それを受け取り、穹はここに通ってきている。アベンチュリンがアパートにいる日に合わせて時折来ており、いない日は来ない。穹が来てアベンチュリンがすることといえば、大半は穹の課題を見守ることである。
(それではちょっと不公平じゃないかな? マイフレンド)
 彼がこの部屋にいるときの時間はゆっくりとして心地よいけれど、穹の視線はほとんどこちらに向けてくれない。
(せめて、視線を向けてくれるだけでいいのに。本音を言うなら……少しでも触れられたら)
 からかうように、ぴょんとはねた穹の寝癖を指で触れると、穹は本から目を離さないまま、アベンチュリンの手を軽く払った。
「思うんだけどね」
「うん?」
 彼の視線はなおも本の方。だからつい、強い言葉が出てしまう。
「君、ここを自習スペースか何かだと思っていないかい?」
 その言葉でようやく穹は本から目を離した。しかし明らかにむっとした様子でアベンチュリンを睨んでいる。予想していなかった反応に戸惑ったのはアベンチュリンの方である。さすがにまずいことを言ってしまった。けれどどうしよう。なぜ言ってしまったのか。弁解の言葉に迷うアベンチュリンをよそに、唇を尖らせて穹は言う。
「……まあ、冷暖房完備で、料理も作れて食えて、自習もできる。おまけに住人はかっこよくて優しい。うん、いいスペースだな。でも、そういうスペース、もっと近くにあるし」
 例えば自宅。誰にも邪魔されないスペースだ。
 例えば親友宅。自宅にも程近く、こちらも住人は優しく世話焼きだ。ときどき叱られることもあるけれど。
 例えば大学の図書館。自習スペース利用はタダであり、冷暖房完備、静かで資料も読み放題の快適な空間である。
 学生街なだけあって、他にも探せば自宅近くで自習するのに快適なスペースは見つかるのである。
 それならどうしてか。
「自習するためだけに、わざわざここまで来ると思うか? わざわざ電車乗って、駅から十五分歩いてようやく着くここに?」
 穹は本を閉じた。
「……言ったのはそっちだろ。『来たくなったらおいで』って、『僕に会いたくなったらおいで』って。だから、選んだのに」
 なあ、と改めて彼は問う。
「どうして俺がここに来るか、まだわからないのか?」
「それは……」
 認めていいものなのか。ここから先の言葉は、おともだちの範囲を超えてしまわないか。逡巡するアベンチュリンに対して穹は顔を背けて立ち上がった。
「……帰る」
 そう言い残して玄関へ向かおうとするのをアベンチュリンは手をつかんで引き止める。背中を向けられているので穹の表情はわからない。けれどもう退けない。手を離せば彼はもう戻らない。
「確認だけれど、君がわざわざここに来ているのは、僕に会うためかな?」
「……そうだよ」
「それはどうして?」
 聞かせてほしいな、と言葉を添えると、穹はアベンチュリンの方へと振り向いた。どこか不安げな顔を覗き込んで彼の答えを待つ。すると彼は困りきったような表情を浮かべた。
「そんなの、そこまで、俺が言わないとわからないのか?」
「言葉にされないことは意外とわからないものじゃないかな。例えば、どうして僕が『ここを自習スペースか何かだと思っていないかい?』と言ったと思う?」
「冗談を言った……? いや、怒ってるから……?」
「正解は、君の視線が向けられなくて退屈で、触れられなくて寂しくなったから」
「え?」
「笑ってくれていいよ。大人げない態度を取ってしまった。許してくれるかい」
「それは、俺も、カッとなって……というか、甘えすぎてて、放っておいて、ごめん……」
「うん、じゃあ仲直りだ」
 そう言ってアベンチュリンが穹の手を引いて顔を近づける。目を丸くする穹だが、徐々に近づいてくるアベンチュリンの顔に我に返ると彼の手を払い、解放された手で待ったをかけた。近づいてきた彼の顔をずいと押し戻す。
「おや?」
「それは、まだ、早いと思う」
「はは、しっかり者だね。それじゃあ、改めて、僕に会いたくなったらここにおいで」
 アベンチュリンは改めて穹の手を取り、そしてその手首に唇を押し当てた。
「そのときは僕を退屈させないで。この約束が守れるなら、またおいで」

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