からから(アベ穹)

 彼に会えば胸は温かくなる。けれど空いた穴は埋められない。
 どうして?
 愛しいひとに会えばこの胸は満たされるはずなのに、からからと、かわいた音が鳴り続けている。

 シャワーを浴びたアベンチュリンが部屋に戻ると、穹はベッドに腰かけ、足をぶらぶらと遊ばせていた。
 ただいまと声をかければ、穹は目を輝かせて立ち上がり、アベンチュリンに抱きついてきた。先にシャワーを済ませており、灰色の髪はしっとりと濡れていた。抱きしめ返してやれば同じシャンプーの匂いがした。甘い花の香りをまとわせたふたりはやがてどちらからともなく口づけを交わす。最初は触れるだけ、次第に舌をのぞかせて、最後には呼吸もそこそこにただ求め貪るように。
 けれど、そうやってぴたりと寄り添いあっても、足りない、とアベンチュリンは思う。
(それでも穴は埋まらない)
 いつからか空いているそれは満たされることはない。心を通わせた仲の穹が、それを満たしてくれると思っていた。けれどどんなに逢瀬を重ねど、満ちることはなく、からからと風が吹いてかわいた音を立てるだけ。
(どうしてだろう)
 彼のせいではない。
 彼は十分すぎるほどに愛を注いでくれている。
 それならば自分のせいだろう。
 自分がどこか欠けているから、きっと、注いでも注いでもこぼれてしまうのだろう。壊れた器に水を注いでも隙間から流れてしまうように。
(僕は、君に愛されるような器なのかな)
 ふたりの距離が離れ、互いの唇を繋ぐ糸が切れる。
「アベンチュリン?」
 穹は怪訝そうな顔をした。
「どうした、そんな難しい顔をして」
「……ああ、いや、ちょっと考え事をね」
「うん?」
「……僕は、君に愛されてもいいのかなって」
「え? どういうことだ?」
「満たされないんだ。どんなに君に愛されても。きっと僕が……僕のどこかが、欠けているから」
 そんな僕は、愛される資格があるのかな。
 恋人から視線をそらし、アベンチュリンはそう吐露する。穹はそんな恋人の言葉を聞いて目を瞬かせたのちに口を開いた。
「アベンチュリン、おでこ出して、おでこ」
 突然の要求に困惑しつつも、アベンチュリンは髪をかきあげて額をさらす。その額を優しく撫でて穹はにこにこと笑う。
「んー、いいおでこだな。キスのひとつやふたつしたくなるくらい」
「してくれるのかい?」
 優しい恋人のことだ、慰めにキスをしてくれるのだろう。そう期待し、アベンチュリンは甘えるように目を閉じた。故に穹が首を横に振ってみせたのを見ていなかった。穹はアベンチュリンの額を撫でるのをやめ、そして。
「おでこピィン!! っと!」
「いっ……!?」
 穹は指でアベンチュリンの額を思いきりはじいた。予想外の攻撃と痛みで、アベンチュリンは悲鳴を上げ、ふらふらとしながらベッドに背中から沈んだ。額を押さえている彼を見下ろしながら、穹は首を傾げてみせた。
「痛い?」
「痛いよ」
「ま、痛くしたからな。ごめんごめん、泣かないで。ちゅーしてやるから」
「泣いてはいないよ……キスは歓迎するよ……」
 アベンチュリンに覆い被さるような体勢で、穹は攻撃した箇所に口づけを落とした。そして力を抜いて、ずどんとアベンチュリンにのしかかった。ぐえ、とつぶされてうめき声をあげた彼を穹はすかさず抱きしめる。その力はいつもよりだいぶ強い。
「穹くん、今夜はなんだか激しくないかい?」
 率直な物言いをする一方で、穹のスキンシップは基本的に優しい。こうした攻撃は意外にも珍しい。その指摘に穹は唇を尖らせた。
「悪いとは思ってるよ、でも、お前が変なこと言うから!」
 俺は怒っているんだぞ、と穹はアベンチュリンの胸のあたりをぺちぺち叩きながら言う。
「愛される資格があるとかないとか……欠けてるとかなんとか……そんなの知らない。俺はお前の全てを知っているわけじゃないけど、それでも俺はお前が好き。表に出てるところも隠してるところも色々ひっくるめて受け入れて、それでもやっぱり好き!」
「う、ん」
「ちゃんと頷け。それに愛されても満たされないなんて、人間なら当たり前! 俺の友達も言ってた!」
 人間は欲望を持つ。
 その欲望が尽きることはない。
 故に人間は常に満たされず渇いている。
 だから人間は渇いた心身を満たそうと、潤そうと活動をする。
 その活動を生きると呼ぶのだ。
 満たされないのは人間だから。
 生きているのは満たされないから、と。
「俺も、恋人が好きで好きで好きすぎてやばい、まだまだ足りない、もっと愛したいし愛されたいし、足りない満たされないどうしようって相談したら、そう返してくれた。だから!」
 穹は再びアベンチュリンを強く抱きしめる。
「お前が欠けてるとか資格がないとか、そんなわけないから!」
「……穹くん」
「だから自信を持って俺を愛し、俺に愛されるように、以上」
 穹はそう告げてアベンチュリンの顔を覗き込む。笑っているような、泣いているような、どちらともとれる表情の彼の頬に口づけた。
「何回でも言ってやる! 色んなこと気にならなくなるくらい愛してやる! 好きだぞ、アベンチュリン!」

 どんなに愛し愛されても空いた穴は埋まらない。
 人間として生き続ける限り、からからとかわいた音は鳴り続ける。
 それでもこんなにも愛し愛されたら、音なんて気にならなくなるかもしれない。

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