それは隠し味になりませんと必死に止めたんですよ。
賢者は後に語った。
今日も今日とてミスラは安眠の場所を探していた。そんなときに見かけたのはルチルがミチルとリケに小包みを手渡している場面だった。いったい何をしているのやら。またどこかへと向かったふたりを見送る彼へと近づいて声をかける。
「ルチル、何をしてたんです」
「ああ、ミスラさん。ミチルとリケにお菓子を渡していたんです。今日はハロウィンですからね」
「ハロウィン、ですか」
「はい。この日は子どもたちがお菓子をもらいに来るんです」
トリックオアトリート。お菓子をくれなきゃいたずらするぞ。お化けの格好をした子どもたちはそう言って菓子をもらいに来る。もともとは別の意味を持っていた行事だったようだが、現在ではこうして平和で微笑ましい行事に落ち着いたらしい。そんな説明を受け、ミスラは疑問を口にする。
「あなたは菓子をもらわないんですか?」
「ふふ、私はもう大人ですから」
大人? ミスラは首を傾げた。千年を超えた自分からすれば、ルチルもミチルもそれほど変わらない。年齢もだが、目を離せばどこに飛び出していくかわからず、はらはらさせるあたり、幼い子どもと変わらない。ミスラはポケットを探る。中にはたまたま飴がひとつ。包み紙はくしゃくしゃとなっているが食べるのには問題ないだろう。どうぞ、とミスラはルチルにそれを差し出した。
「え? これは飴……ですか?」
「はい。ハロウィンは子どもに菓子をあげる日なんでしょう。あなたは俺からしたら子どもです。なので飴をあげます」
「まあ! ミスラさん、ありがとうございます!」
トリックオアトリート! そう言ってからルチルは差し出された飴を受け取った。
他の魔法使いにも菓子を渡すというルチルとわかれ、ミスラは再び自分の部屋へと戻ろうとする。
今日はハロウィン。子どもたちは自分にも菓子をねだりに来るだろうか。ルチルはミチルに菓子をもらったことを話すかもしれない。それを聞いたらミチルも自分のもとへ訪れるかもしれない。一応準備をしておくべきか。ミチルとリケ。シノも来そうだ。とりあえず三人分か。いや、それでは足りないか。菓子と聞けば黙っていないだろう男がひとりいる。
「面倒だな……」
四人分の準備をすべく、ミスラは歩き出した。とりあえずクッキーというものを作ってみよう。作り方はよくわからないが、まあ、なんとかなるだろう。
その後、用意をし終えたミスラのもとにミチルとリケがやって来た。ふたりにクッキーを渡すと、色が、とふたりとも引いていたがなんとか受け取ってくれた。そしてたまたま出くわしたシノにも渡すと、色を見てやや引いていたようだがやはり受け取ってくれた。あともうひとりクッキーを渡せば終わりだが、いっこうにやって来る気配がない。ミスラとしてはさっさと終わらせて早く寝たい。ならばこちらから出向くしかない。とりあえず彼の部屋へ移動してみようと空間をつなげる。
扉を開ければ目の前には菓子をほおばっている彼がいた。
「う、わっ」
「こんにちはオーエン。失礼しますね」
「失礼するなよ、入ってこないで」
追い返そうとするオーエンをものともせず、ミスラはオーエンの部屋へと降り立った。部屋に広げられているのはチョコレート、ビスケット、マカロン、クッキー、キャンディーなどなど、他の魔法使いもらったと思しき菓子の数々。
「もらったんですね」
「あげないよ」
「はあ……なんで早く俺のところに来ないんです」
「何がだよ。せっかくお菓子食べてたのに、邪魔しないで」
「その菓子を渡そうと待ってたんですけど」
「お菓子を? ……おまえが?」
「はい。これです」
訝しげなオーエンにミスラはお手製のクッキーをかかげてみせる。
「えっ、何それ……」
「クッキーです」
「……その色で?」
「普通の色だと思いますけど」
クッキーは柔らかな色合いだという認識をしていたが、かかげられたクッキーは目にも鮮やかな紫色と小麦の色がうずをまいていた。そしてところどころ黒みがかっているという、なんとも食欲が減退しそうな色合いであった。腰が引けているオーエンに対し、ミスラは不思議そうにクッキーを見やる。
「ちょっと色鮮やかな感じですが材料の色です。気にしないでください」
「気になるんだけど」
「いるんですか? いらないんですか?」
「……いる、けど、なんで」
「なんで?」
戸惑いを抱え、おそるおそるといったふうにオーエンは問う。
「なんでおまえが僕にクッキーをあげようとするわけ」
なんで。だってハロウィンだからだとミスラは答える。
「一応、あなたも年下なので。この行事、子どもに、年下に菓子をあげるんでしょう。だからあげようと思って用意したんですよ」
「ミスラ……」
「そんなわけでミチルとリケ、シノにも渡しました。なんかクッキーの色を見て少し怯えてましたけど、大丈夫でしょう。ルチルには飴をあげました。そのときにはそれしかなかったんで」
「おまえさあ……、いいけど、もう、くれるんでしょ、ちょうだい」
「はいどうぞ」
そう言ってミスラはオーエンへクッキーを渡そうとする。オーエンもそれを受取ろうとする、が、何か思い出したようにミスラは寸前で手をひっこめた。
「ああ、そういえば」
「おい」
オーエンは空振りした手を握りこんでミスラをにらみつけた。しかし彼に気にする様子はなく、そういえばあれを聞いてないですね、とつぶやいている。
「何が? ねえ、それを渡すのか渡さないのかどっちなの」
「渡す前に言葉があったでしょう、あれです、トリ……なんとか……」
「トリックオアトリート?」
「それです。菓子をもらう子どもはそう言うんでしょう。言ってください」
「トリックオアトリート。……これでいい? ほら、さっさとちょうだい」
どうぞと差し出されたクッキーを奪い取るようにして受け取った。そして口の中に放り込み、もぐもぐと咀嚼し始めた。その表情はだんだんと険しいものへと変わっていく。
「どうです。悪くないでしょう」
「いや、ものすっごく苦……まっずい……」
そう呻いてオーエンはチョコレートを素早く口に放り込んだ。口直しになったらしく穏やかな表情へと変わっていくオーエンを見ながら、ミスラは首を傾げていた。
「やっぱり隠し味に消し炭を入れたのがまずかったですか? 賢者様から止められたんですけど」
「ほっ、んと、馬鹿じゃないの!?」
その日、ミスラお手製のクッキーの苦さに涙ぐむどころでない子どもたちの姿が各所で見られたという。
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