「今日の俺は頑張ったと思うんですよ」
「うん」
「殺したくなるのを我慢できましたし」
「そうだね」
「ちゃんと最後はブラッドリーに譲りましたし」
「う、ん……?」
「だというのに賢者様は今夜西の国に泊りだそうです」
「はあ……」
「今夜こそ眠らせてくれるはずだったのに、眠りたいときに限って賢者様はいなくなるんです。まったく、困りますよ」
「ねえ……ミスラ」
「なんです」
「早く自分の部屋に帰って」
「なんでです? 部屋にいたって眠れないのに」
「僕が眠りたいからだよ。そろそろ寝かせろよ」
眠りたいときに限って賢者がいないのだとミスラは嘆く。嘆きたいのはオーエンも同様だ。ゆっくりひとりで過ごしたいときに限ってミスラの襲撃に遇う。入ってこないようにと手を打っても力ずくで破られる。防ぐすべはほとんどない。こちらができることは逃げるか言葉で丸め込むか。なお、今夜はすでにどちらも失敗している。失敗した結果。
「はあ……オーエンのベッドでも眠れそうにないですね」
「最初からそう言ってる。早く出て行って」
なんかあなたのところで眠れば寝つける気がします、と言って、ミスラが寝床に潜り込んできたのだった。奥へ奥へと押されて逃げ場は失われた。一人分のベッドに男二人は狭苦しい。そんなことより他人と一緒に眠れるか。その上、そばにいるのは気まぐれでこちらを殺しかねないけだもの。眠れるはずがない。
「ん……いい感じに眠気が来た感じがします」
「嘘……やめて、眠らないで」
厄災の傷は存外深い。おそらく眠れないとは思うが、万が一眠れるようなことになってしまったら、これ幸いと自分のもとにミスラが居ついてしまう。それは避けなくてはならない。
オーエンは自身の手をミスラの首元に押し当てた。予想していたよりもミスラのそこは温かかった。
「うわっ」
突然ひやりとしたものを当てられ、ミスラが声をあげる。それを聞いてオーエンは、どうだ冷たいかとばかりにミスラに触れていく。氷のようだと賢者は言った。それくらいに冷たい手に触れられていれば、ミスラの眠気も簡単に吹き飛ばせるはずだ。そして触られて嫌になってここを出ていくだろう。
しばらくはオーエンに触れられては嫌がるような様子を見せていたミスラだが、不意にオーエンの方へと向き直り、その手をつかんだ。やがて両手でつかんでオーエンの手に頬を寄せてそのまま目を閉じた。オーエンが慌てて振りほどくと、ミスラから咎めるような視線を向けられる。
「なんですか」
「何してるの」
「賢者様の手を握ると眠れるんですよ。たまに眠れませんけど。じゃあ、オーエンの手だとどうなるかと思って試したんですが」
「眠れるわけないだろ」
「やってみないとわかりませんよ。もしかすると眠れるかもしれないじゃないですか。早く手を差し出してください」
早く、と急かすミスラにオーエンは渋々手を差し出す。納得しない限りはいつまでたっても状況は好転しないだろう。さっさとあきらめてどこかへ行ってほしい。そう願いながらオーエンは口を開いた。
「眠れなくても恨まないで。おまえのせいだから」
オーエンの手をつかんだミスラは冷たいと顔をしかめつつ、目を閉じた。
その後しばらくして。
ミスラはたまにうとうととしているようだが、やはり眠りにはつけないようである。そろそろあきらめて部屋を出ていくだろうとオーエンは考えていた。しかし、予想に反してミスラは出ていかなかった。いつかあきらめてどこかに行くだろうと思っているうちに、だんだんと朝に近づいていく。
結局その後、ふたりはほとんど眠れないまま、共に夜明けを迎えた。朝のまぶしい日差しを一緒に受けながら、オーエンとミスラは顔を合わせた。互いに眠気をたっぷり含んだ声であいさつを交わす。
「……おはよう」
「……おはようございます」
「……眠れた?」
「……いいえ、眠れませんでした。はあ……何の時間だったんでしょう」
それはこちらの台詞である。ミスラはオーエンが睨もうが気にすることはなく、あくびをこぼしてベッドから腰を上げた。そのままドアへと向かっていったが、ふと何かを思い出したようにオーエンの方へ振り向いた。
「また来ます」
「もう来ないで……」
ドアが閉まり、ミスラが長い長いため息をついた。ようやく眠れる。すっかりぐしゃぐしゃで、まだ彼の温度が残っている寝具にオーエンは舌打ちする。眠れないのなら粘らず、早くどこかへ行けばいいものを、なぜ朝までここにいたのだろう。手を握られていた感触も腹立たしい。寝直そうとオーエンが寝具を整えているところで、部屋のドアが開いた。
「賢者様を連れてきました。寝直しましょう、オーエン」
「帰って」
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます