どうぞいい夢を(オエミス)

 いい初夢を見れますように、おやすみなさい。
 そんな言葉と共に、賢者から渡されたホットミルクを飲みながら、オーエンは自室で物思いにふけっていた。今日のホットミルクも甘い。何を入れたのやら。
 年が明けたところで何も変わりはない。千年以上の時間を過ごしてきているのだ。今さら喜ぶことでもめでたく思うことでもないだろう。騒がなくともよいことだ。だというのに今日の魔法舎は一段とにぎやか。あけおめ、ことよろという謎の挨拶、空を舞うタコ、おとしだま、酒にごちそう。若い魔法使いも長く生きる魔法使いも、賢者の世界の文化を取り入れて皆大騒ぎだ。夜になったというのに未だ喧噪が聞こえてくる始末。落ち着かない。
 いい初夢を見たところで、何か変わるわけでもないのに。夢は覚めたらそこでおしまい。気分がよくなっても結局は夢は夢。むなしくなるだけだ。ばかみたい。そうつぶやいて、オーエンはホットミルクを一気に飲み干した。
 空になったカップをテーブルに置くと、コンコン、コツコツと窓を叩く音が聞こえてきた。ちらりとそちらへ視線をやれば、夜闇にも紛れることのできない赤い髪が見えた。よし、無視だ無視。何も見なかったことにして窓から背を向ける。そしてすぐに結界を張って侵入を防ぐ。夜くらい静かな時間を楽しみたいのだ。
 そんな思いはすぐにはかなく砕け散った。結界と共に。力づくで結界を破り、ミスラは窓を開けてオーエンの部屋へ侵入してきた。
「こんばんは、オーエン。夜遅くに失礼します」
「一昨日も昨日も、今日も、飽きないね。何しに来たの」
「避難ですかね」
「避難?」
「今日はどこもかしこも、にぎやかすぎるんですよ。それも悪くはないんですが、そろそろ静かなところで落ち着きたくて」
「だったら自分の部屋に戻りなよ」
「まあいいじゃないですか」
 そう言ってミスラは椅子に腰を下ろし、テーブルに置いていた菓子の袋を引き寄せる。そして中に入っていた菓子を取り出し、ぼりぼりと食べ始めた。まるで自分が部屋の主であるかのようなくつろぎぶりである。
「おい、勝手に食べるなよ」
「俺が置いていった菓子なんですから」
「それ食べ終わったら帰って。僕は今日早く寝るんだから」
「初夢を見るためですか?」
「疲れたからだよ」
 だから本当に帰ってくれとオーエンは思う。ここ最近ミスラに付き合いすぎた。今日くらいはゆっくりひとりで過ごしたいのだ。そうなんですか、とミスラは気にした風もなく菓子を食べ続けていたが、最後の一個を口に放り込むやいなや、ミスラは立ち上がった。
「じゃあ食べ終わったので帰ります」
「えっ」
 素直に帰ると言われてオーエンはつい声を出してしまった。なんですかその反応、とミスラは呆れた様子だ。それもそうなのだが、あのミスラが素直に言う通りにするとは思わなかったのだ。昨日のように寝るまで部屋に居座るのではないかとおそれていたのだが。
「帰ってほしくないというなら仕方ないですね、もうしばらくいますよ」
「いや、帰っていいから。でも、何で急に帰るって言い出したの」
「俺も今日は早くに寝て、初夢を見ようかと思ったんです」
 明日も任務はないという話だ。賢者に寝かしつけてもらっても構わないだろう。今日くらいは寝たいのだからと言えば賢者も断らないはずだ。そう話すミスラをオーエンは冷めた瞳で見ていたが、急に何かを思いついたのか、にこりと笑みを浮かべた。
「初夢、悪夢じゃないといいね」
「はあ……。手出ししないでくださいね」
 オーエンの笑顔に何か不穏なものでも感じたのだろうか。ミスラが釘をさすように言うのを、ひどいな、とオーエンはなおも笑みを浮かべたまま応じる。手出しするな、と言われてしまえば、かえってちょっかいを出したくなるというものだ。
「それじゃあ、失礼します。いい夢を」
 そう言って再び窓から出ていくミスラを見送り、オーエンは先ほどまで彼が座っていた椅子に腰かけた。
「さて、どうしようかな」
 どんな夢を見せようか。どんな悪夢で台無しにしてやろうか。起きてもうなだれるような、胸につかえたものが残るようなものにしてみようか。それとも逆に、覚めた後に虚しさで泣きたくなるくらいのやさしく甘い夢を見せようか。
 わくわくと胸躍らせていると、テーブルに小瓶が置かれていることに気付く。小瓶には白いキャンディーが詰め込まれていた。自分が置いたものではない。もしや去り際、ミスラが置いてったのだろうか。キャンディーをひとつ取り出し、口の中に入れると、甘いミルクの味が口の中に広がった。小瓶の側面には「よく眠れる! おやすみなさい! 甘い甘いミルクキャンディー!」と書かれたラベルが貼られていた。そういえばいつだったか、おいしいと評判になっていたことを彼に話した気がする。
「……何なの」
 素直に帰ったこと。
 甘いキャンディーをお礼、あるいはお詫びで寄越したこと。
 それも自分が教えたキャンディーを。
 らしくもない彼の行動に困惑するばかりだ。どうにも落ち着かない。むずかゆい。じっとしてられない。納得がいかない。ああ、もう、あの男。
「……吐きたくなるぐらいの悪夢を見せてやる」
 そういう関係じゃないだろう、自分と彼は。悪意と殺意を向け合う、そんな関係だろう。

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