梅雨が明けて夏。近頃は早朝からすでに日差しは痛いほどに眩しく、じとりとした暑さもあいまって体力、気力を削っていく。トレーニングをする際には十分注意するよう教官たちからは呼び掛けられている。
「水分、塩分を十分補給」
教官からの言葉を繰り返し、シンボリクリスエスはミネラルウォーターを口に含んだ。塩分補給のタブレットも口に入れて空を仰ぐ。雲ひとつない抜けるような青空に突き刺すような日差し。頬に伝う汗を拭い、クリスエスはグラウンドを後にする。午前中のメニューはこなした。昼過ぎまで休憩を取っておこう。午後からはさらにひどい暑さになるという。さて午後からのメニューはどうするべきか。
クリスエスが向かったのはカフェテリアだった。昼食の時間には早いが、すでに多くの生徒たちが食事や休憩を取っている。この暑さで予定を早めに切り上げたものも多いのかもしれない。
(空いている席は)
周囲に視線をやったクリスエスは、ちょうど正面に立っていたウマ娘に気がつく。レースではないのに勝負服を身に纏い、シェイカーを振るウマ娘。彼女はじっと見つめるクリスエスに気づくと、口元に笑みをたたえ、振り終えたシェイカーを下ろし、クリスエスを手招きする。よく見ると彼女の向かいの席が空いていた。そちらに座るよう促されて、クリスエスはそれに応じる。席についた客人に、店主であるウマ娘、タニノギムレットは恭しく一礼をする。
「ようこそ『Cheers to Gimlet』へ」
そしてクリスエスの前に氷で満たされたグラスを置いた。
「俺からオマエに特別な一杯を贈ろう」
ライムジュース。
シュガーシロップ。
グレナデンシロップ。
それらをシェイカーに入れてギムレットはシェイクを始めた。
「漆黒の不動の戦士といえど休息は必要だろう。ククッ、暑さと鍛錬による疲労を癒す霊薬を求めていると見える」
シェイクを終え、ギムレットはグラスにソーダを注いだ。そしてシェイクしたものをグラスへと注いでいく。透明なソーダは注がれたそれによって赤く色づいた。それを見てクリスエスは首を傾げた。ライムジュースではこの色にはならないはずだ。その疑問に答えるようにギムレットは言う。
「赤に染まったのはグレナデンシロップによるものだ。グレナデンシロップはザクロと砂糖から作られている。それ以外の材料でできたのもあるが、今回はザクロが使われたものにしている。このシロップの鮮やかな赤を生かしたモクテルも悪くはないが、また次の機会だな」
ステアすればからりからりと氷が音を立てた。これで完成だとグラスが差し出される。
「目にも舌にも清涼感を与えるモクテル。その名も夏の喜びだ」
「――いただこう」
クリスエスはグラスに口をつけてモクテルをぐいと飲む。ギムレットが言うように感じたのは清涼感。ひんやりとしたモクテルは甘酸っぱく、ソーダのしゅわしゅわとした感触も舌に残る。爽やかな酸味とほのかに感じる華やかな甘さのバランスもよい。
「オマエのことだ。水分や塩分補給は十分だろう。ならば心身に清涼感を与えるモクテルが必要だと俺は考えた。この暑さ、オマエであっても辟易とするだろう」
確かに日本のこの暑さには少々辟易としていた。じとりとした湿気がそれを加速させているのかもしれない。
「だが、夏は悪いばかりではない。特にこの夏はな」
ギムレットの瞳がクリスエスの姿を捉えて輝く。
「この夏は、俺が存分に鍛錬に励むことができる夏だ。そして夏が過ぎれば秋、そこで二度目の秋の天皇賞が俺たちを待っている。その時をワタシは今か今かと待ちかねているほどだ……!」
去年のダービー後の怪我、その後の復帰とレースへの挑戦。ギムレットは走り続けていた。クリスエスもまた果たすべき使命のために走り続けていた。そんなふたりはそれぞれの思いを胸に、幾度もレースでぶつかり合っていた。
ダービーで途切れたかと思えたふたりの宿命は、今も続いている。ふたりを繋いでいる。その事実に胸を高鳴らせているのは片方だけではあるまい。
クリスエスはギムレットにグラスを向けた。それを見てギムレットは再びモクテルを注いでやる。しかしクリスエスは注がれたモクテルに口をつけない。
「クリスエス?」
「――ギムレット、オマエも」
「俺も?」
「ああ、乾杯をしたい。――オマエと、競い合える、この世界に」
「ククッ、そうか。……そうだな」
ひとつふたつとうなずいてみせて、ギムレットは自分のグラスに氷を入れてモクテルを注ぎ、クリスエスの向かいに腰を下ろす。そしてふたりはグラスを掲げた。
「お互いが存分に走ることができるこの世界に」
「競い合える、この世界に」
乾杯。
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