喰らい合いたいだろう?(クリギム)

 教室の黒板には次のように書かれていた。
『手を取り合って一緒に踊らないと出られない部屋♪』
 なるほど、親交を深めるにはちょうどいいお題なのではないだろうか。与えられた時間は三分。時間は有限。他の生徒たちのためにも早くお題に取り組まなくては。そう思いつつ、シンボリクリスエスはペアを組んだタニノギムレットの方へと振り向いて気づく。彼女の様子がおかしい。目を閉じ、何やら考え込んでいる様子だ。
「ギムレット?」
 クリスエスが静かに声をかけた刹那、ギムレットから発せられたのは高笑いであった。
「ククッ、ハーッハッハッハッ! 出られない部屋とは面白い趣向だ! 素直に手を取り合い踊るのも魅力的な選択だが、俺は全て破壊しよう! 時は満ちた! 行くぞ!」
「待て、ギムレット」
 クリスエスはギムレットを止める。このままでは教室の何処かが破壊される。クリスエスに向けられた左目が止めてくれるなと咎めている。怯んでしまう同級生もいるかもしれないが、クリスエスは一切動じない。嗜めるようにギムレット、ともう一度彼女の名を呼び、静かに語りかける。
「思い出せ。この時間が、何の時間かを」
「この時間……」
 ギムレットとともにクリスエスも思い出す。それは数十分前のこと。クラスの担任と同級生が皆に提案をしたのだ。
「『お題を達成しないと出られない部屋』というレクリエーションをしようという提案があった……」
「Yes. その目的は、クラスの友人たちと、親交を深めるため」
 クラス内でペアを作り、三分以内にお題達成を目指す。ふたりはたまたまペアとなった。そして静かに順番を待ち、自分たちの番となったため教室に入り、今に至る。
「『ルールを守って楽しくレクリエーション』と、最初に、そう確認したはずだ」
「そう、だったな」
 そのことを思い出したことで、ギムレットは冷静さを取り戻したようだ。廊下にいる担任も同級生も安堵の息をついていることだろう。
「フッ、俺としたことが、破壊衝動に心身を灼かれたか。感謝するぞ、クリスエス」
「礼には及ばない」
 気を取り直して、ふたりはお題を再度確認する。
『手を取り合って一緒に踊らないと出られない部屋♪』
 そしてタイマーを確認する。そうこうしているうちに残りは一分半。
「時間がない。始めるぞ、ギムレット」
 そう言ってクリスエスはギムレットの手を取り、彼女を自分の方へと引き寄せた。驚いたように目を丸くするギムレットをよそに、クリスエスがステップを刻み始めれば、ギムレットも流れに乗ってステップを合わせてくる。
 まさか本格的なダンスが始まるとは思っておらず、わっと廊下から同級生の歓声が上がる。リーニュ・ドロワットのダンスが始まった、と言う生徒もいた。
 ドロワのときとは違い、流れてくる音楽はなく、教室内に響くのは、時計が時を刻む音とふたりの靴が床を叩き、擦る音だ。互いに言葉はなく、静かに流れを止めることなく、しかし相手の出方を伺いながら、確かな緊張感をはらませてダンスは続く。
 じりじりと互いの出方を見計らう。相手の呼吸を聞きながら、じりじりと、徐々に緊張と高揚が高まっていく。まるでレース中の仕掛けどころを見計らうかのように、慎重にそのときを待つ。
 そして、その時は来た。
 先に仕掛けたクリスエスにギムレットは待っていたとばかりに素直に応じる。さらに息のあったダンスは力強く鮮烈、緊張を与えながらも見る者たちに酩酊をも引き起こす。同級生たちは息をのんでふたりのダンスを見守っていた。
「ククッ、時間を忘れて、このままオマエと喰らい合い、踊り続けるのもまた一興」
 しかし。
「だがお別れの時間だ、クリスエス」
 くるり、くるりと回って手を離し、ギムレットはそのままクリスエスの手から逃れた。そして彼女はひとりゆっくりとターンを始めてしまう。
 再び彼女をとらえようとクリスエスが手を伸ばしかけたとき、タイマーが鳴り、ダンスの終わりを告げた。教室の戸がガラリと開き、同級生たちは拍手をしながらふたりを称えた。
「お疲れ様! すごかったよ! 急にドロワが始まっちゃったね!」
「お題クリアおめでとう! じゃあ廊下に移動お願いね!」
 担任に促されてふたりは息を整えつつ廊下へ移動する。そこでもかけられる賞賛の声を、クリスエスはぼんやりとした頭で聞いていた。
(風邪を引いたかのようだ)
 熱に浮かされたような感覚がどうにも拭えず、消えないでいる。胸に手を当てても、額に手を当てても、熱があるわけではない。
 やがて教室内を見ていた同級生がどっと笑い出す。何があったのかと皆の関心はそちらへと向き、クリスエスのそばにはギムレットだけが残る。彼女に声をかけようとした瞬間に、ギムレットはひとり皆から背を向けて、教室から離れていく。いつもなら見咎める担任も教室内の生徒たちに注目してしまっている。クリスエスはどんどん離れていくギムレットを追う。
「ギムレット、どこへ行く」
「無論、走りに」
 当然とばかりにギムレットは言い、クリスエスの方へと振り返る。彼女の頬はわずかながらまだ紅潮している。
「一向に冷める気配がない。先ほどの踊りで、オマエが焚きつけた熱がな。距離でいえば二千四百あたりか。二千五百でも三千でもいい。衝動に突き動かされるがままに、勢いのままに、駆けていきたい気分になった」
 遠ざかっていたはずのギムレットはクリスエスの方へと近づいていく。そしてぴたりと足を止めて、ギムレットは言う。
「走りたいのさ、オマエと共に」
「――私と」
「オマエにも熱は残っているはずだ。その熱はレースで生まれる闘争心と高揚と同じ。ならば走ることでその熱を溶かさなくてはな?」
「だが――」
「クリスエス」
 ギムレットは言葉を重ね、手を伸ばしてくる。この手を取れと誘いかけてくる。
 この先も、何度でも、二千四百を一回きりだなんて言わないで。
「オマエは、俺と、喰らい合いたいだろう?」

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