確かめて、何度でも(アベ穹)

 それは誰もが抱く反応。
 それは恐怖から生まれる感情。
 過度なそれは著しくパフォーマンス低下させる。
 さて、それの名は?

 ホテルの一室でアベンチュリンと穹は遅めの朝食を取っていた。朝食と呼ぶべきかは微妙なところか。なぜなら時計はそろそろ昼を知らせようとしているからだ。昼を告げる音楽が流れ出すのももう少し。
 常連だからなのか、ごゆっくりどうぞと滞在を許してくれた上に、朝食まで部屋に提供してくれたホテルの従業員にはあとで謝礼が必要だろう。
 アベンチュリンの分のトーストももぐもぐと食べる穹に、アベンチュリンは苦笑しながら声をかけた。
「それにしてもすっかり昼か……うっかりふたりで二度寝してしまったね」
「ほはへはははははひはほ」
「何て?」
「……お前が、離さないから、だろ。俺のせいじゃない」
「それでも僕を離さないで、二度寝を選んだ君にも責任はあると思うけど?」
「そう、か……?」
「お互い反省だね」
「圧がすごい……」
 そうつぶやいた穹にスクランブルエッグも差し出してやると、穹は怪訝な表情をした。
「お前、サラダしか食べてないじゃないか。ちゃんと食べた方がいいぞ」
「なんとなく、喉を通らなくてね。いっぱい食べるといいよ。君には無理をさせたから」
「お前にも無理をさせたと思う。夜遅くまで遊びに連れ回したのは俺だし、欲しがったのも俺だし。今朝離さなかったのはお前だけど」
「そうだね……」
 そんな会話をしているうちに、穹がトーストを食べ終わる。しばらくスクランブルエッグを見つめていたが、手を伸ばす気配のないアベンチュリンにしびれを切らしたのか、皿を取ってアベンチュリンの目の前に差し出す。
「食べろ。ふわっふわでおいしいんだから」
「……わかったよ。ゆっくり食べることにしよう」
 アベンチュリンはそれを受け取り、スクランブルエッグをひと口すくう。
(もう少しで終わってしまうな)
 食べ終わって、今一度準備をしたら、今回のふたりの逢瀬は終わりだ。
(今度はいつ会えるんだろう)
 互いに立場がある。
 互いにするべきことがある。
 同じ場所にとどまらぬ旅人である穹と重なる時間は今後どれほど残されているだろう。
(そして君の心がいつまで留まってくれるだろう)
 別れの時は近づいていく。会っても会わなくても、時間が流れ続ける限り、生きている限り。
 昨夜遅くまで交わした言葉も愛も熱も今は遠い。
 手が届かなくなるくらい遠ざかって、忘れていく。失うときが来る。
(僕は、君を失う?)
 物思いにふけるアベンチュリンをじっと見つめていた穹は、フォークとスプーンを置いて彼に声をかけた。
「アベンチュリン、立って」
「え?」
 いいから、と言われて、困惑しながら立ち上がれば、穹が近づいてきて、ぎゅうと抱きしめてきた。恋しく思っていた温もりを与えられ、アベンチュリンは目を丸くした。
「星核くん?」
「こういうときは抱きしめてやれって言ってた」
「……誰だい、こんなことを君に教えたのは」
「誰だったかな……思い出した、レイシオだ」
 意外な人物の名が挙がるが、どこか納得するところもあった。
「なんだったっけ、不安は恐怖に根差した感情だって。失うのが怖いと思うから不安は起きるんだって」
「不安?」
「不安……じゃないのか?」
 抱きしめるのをやめて顔を上げた穹は、アベンチュリンの頬に手を添えた。
「そんな顔して、不安じゃないとは言わせないぞ」
 添えられた手を掴んで、アベンチュリンは口づけを落として頬にすり寄せる。いったい自分はどんな表情をしていたのだろう。
「泣きそうな顔、置いていけぼりにされた子どもみたいな顔、えーと、捨てられてくんくん鳴く子犬……」
「もういい、わかったわかった」
 次々と具体例を挙げられてストップをかける。そんなに情けない顔をしていたのかと思うと恥ずかしい。
「それで、なんだったかな。不安な顔をしたら、感触を確かめさせてやったらいいって言ってたな」
「……一度じゃ足りないかな。そういうときはどうするって?」
「何度でも」
「何度でも?」
 そう、と頷いて、再び穹はアベンチュリンを抱きしめた。
「何度でも、気が済むまで確かめろって!」

 それは誰もが抱く反応。
 それは恐怖から生まれる感情。
 過度なそれは著しくパフォーマンス低下させる。
 さて、それの名は?
 その名は不安。
 失うのが不安だと震える相手がいたのなら、抱きしめてやればいい。
 感触を確かめさせてやればいい、そうすれば束の間でも安心を得られるだろう。
 再び不安になったのなら、また確かめればいい。
 何度でも気が済むまで。
 互いがひとつになるか、ひとつになりきれず別れる日まで。

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