満足するまで受け取って(オエミス)

 いつから始まった行為だったか、そんなものは忘れてしまった。
 確かなことは、この行為によって得られる快楽が予想以上に心地よいということ。眠気は訪れないものの、情事後の気だるい余韻に浸るのは悪くなかった。
 彼もこの行為を言葉ほどは嫌がっていないのではないだろうか。今日もこうして誘いに応じてくれる程度には。
 討伐から帰還してそのまま彼を部屋に押し込んで、ふたりして行為に没頭しているうちに、いつのまにか日も暮れて夜も更けた。
 今はただ渇いて渇いて仕方がない。
 満たしてくれ、潤してくれ、欲しいのだと身体中が叫んでいる。欲しいと口にして、求めるそれがある方へと手を伸ばす。彼は怪訝な表情でその手をつかまえて、ベッドに押しつけた。そして荒い息のまま口づけが交わされる。合わせた唇の隙間から舌が割って入ってくるのも時間の問題だった。
 彼から与えられたそれも確かに欲しかったものではある。もっともっと寄越してくれという気持ちもあるが、今はそれよりも欲しいものがあった。いつになく執拗な舌からなんとか逃れると、たちまち彼の眉がつり上がる。だが彼の機嫌など気にしている場合ではない。渇いているのだ。
「……ず、が」
「なに」
「水が、欲しいん、ですけど」
 その要求を聞いた瞬間、彼はぴたりと動きを止めた。
「水……?」
「喉が渇いて……」
 棚に水差しがあるので取ってくれないかと頼むと、彼は緩慢な動きで身体を起こしていく。離れていく温度をさびしく思いつつ、彼の様子をうかがっていると、やがて彼は顔を手で覆い、深い深いため息をついた。

 日はのぼって朝。あの後情事はお開きとなり、支度もそこそこに就寝となった。ミスラはやはり眠れぬまま朝を迎えた。隣にはまだオーエンが横になっている。てっきり夜中のうちに自室に戻ると思ったのだが、珍しいこともあるものだ。こちらに向けられている背中を叩くとじろりと睨まれた。すでに起きていたらしい。
「おはようございます」
「……何」
「朝ですけど、食べに行かないんですか」
「行かない。いらない」
 つっけんどんな返答をする声音には怒りがにじんでいるように聞こえた。
「何を怒ってるんですか」
「当ててみたら」
 オーエンは身体を起こし、ベッドから腰を上げた。身支度を簡単に整えて背中越しにミスラを睨みつける。
「どうせわからないだろうし、わかってほしくもない」
 そう言い残してオーエンは姿を消した。

 思えば昨夜はほとんど飲まず食わずで行為に没頭していたのだ。喉も渇くし、腹は空腹を訴えるのも当たり前だ。朝から肉料理はきつくないのか、とネロは案じていたが、肉を食べなければこの空腹は満たせない。素手でつかんで肉にかぶりついていると、賢者が声をかけてきた。
「おはようございます、ミスラ。隣いいですか?」
「どうぞ」
 失礼します、と賢者はミスラの隣の席に座った。手にしているのはパンケーキだと思うのだが、丸ではなく、ところどころとがった部分があり、なんだか変わった形をしている。
「なんですかそれ」
「これですか? 猫の形のパンケーキなんです。ネロに作ってもらったんですよ。食べるのがもったいないです……!」
「はあ……」
 焼きたてのいい匂いがただよってくる。その匂いに反応してか、ぐうと腹が鳴った。自分もこれほど腹をすかせているのだ。オーエンも同様だろう。いらないと言ってはいたが、何かしら食べるべきではないか。パンケーキならばすすんで食べそうだと思い、ミスラは賢者へと尋ねようとした。
「それ」
「だめです」
 賢者の返答はあまりにも早かった。ほぼ何も言っていない段階で答えを返されてミスラは目を丸くしたが、賢者も自分の反応に驚いたようであわてている。
「いや、あの、すみません、えっと、どうしても、このパンケーキはゆずれなくて……」
「いえ、パンケーキをオーエンに持って行こうかと思ったんですが」
「オーエンに?」
 賢者は周りを見渡す。多くの魔法使いたちが集っているが、オーエンの姿は見当たらない。
「そういえばまだ来てないですね。どうかしたんですか?」
「なぜかは知りませんが、朝から機嫌が悪いんですよ。食べないとごねていました」
 朝からとは言ったものの、昨日から機嫌が悪いような気もする。いずれにせよ、このまま長引くと面倒なことになるのは目に見えている。
「あの人、甘いものを食べると機嫌が良くなるじゃないですか。あのままだと面倒なので、パンケーキでも渡してこようと思ったんですよ」
「なるほど。じゃあネロに頼んで焼きたてをもらいましょうか。その方がおいしいですし、オーエンも喜ぶと思いますよ」
「そうします」
 素直に頷いたミスラに賢者は微笑むが、先ほどより笑みはぎこちない。もごもごと口を動かしてから賢者はミスラへ頭を下げた。
「すみません、ミスラ」
「なんですか?」
「さっき、強く言ってしまったなって。パンケーキを奪われるんじゃないかって勘違いしてしまって、つい強く言ってしまって、すみません」
 勘違いという言葉が引っかかり、不意にため息混じりの声が脳裏によぎった。
『勘違いなんかして、馬鹿みたい』
 誰が言ったものだったかうまく思い出せず、ミスラは考え込む。最近聞いたような、昔だったような、何かの拍子にこぼれた言葉だったか。
 怒っていますか、と恐る恐る尋ねてくる賢者の声で我にかえり、ミスラは首を横に振った。
「気にしてませんよ。奪えれば奪おうかとも思っていたので」
「そうでしたか。それなら、あれ……もしかして勘違いじゃなかった……?」
 首を傾げる賢者をよそにミスラは再び肉にかぶりついた。
 朝食を食べ終えてから、ミスラはネロのもとへ向かった。パンケーキが欲しいと言い出すミスラに驚いた様子だったが、オーエンに渡すのだと話すと、先にシロップや生クリームなどを渡された。オーエンはいつもたっぷりかけて食べるそうだ。想像しただけで口の中がとんでもなく甘くなって、食べてもいないのに胸焼けがした。オーエンからすればそのくらい甘い方が心躍るのだろうが。
 その後焼き上がったパンケーキとその他を受け取り、ミスラはオーエンのもとへ向かう。魔力や気配をたどるかぎり、オーエンは自室にいるようだ。食堂から彼の部屋の前へと移動し、ドアノブに手をかける。回してみるが開かない。鍵がかかっているらしい。このままでは入れないので仕方ない。
「アルシム」
 その言葉とともにミスラはドアを蹴破った。魔法を使うまでもなかった。部屋にいたオーエンは驚いた顔をしていたが、ミスラと視線が合うと、呆れたようにため息をついた。
「ノックもしないしドアは壊すし……なんなのおまえは」
「ミスラです。失礼します」
 床に倒れたままのドアを踏んで部屋の中へと入る。早くドアを直せという視線に気づき、今度は魔法を使って直す。そしてテーブルにトレイを置くと、オーエンの視線がそちらへと向いた。
「いい匂いがする」
 オーエンはいそいそと近寄ってくる。パンケーキが運ばれたとわかると目を輝かせた。食べる準備を始めた横で、トッピングとして持たされたものもテーブルに並べる。
「シロップもあります。あと生クリームも預かりました。他にも色々と」
「いただきます」
 最後まで待たずにオーエンはパンケーキへ手をつけた。ミスラはベッドに腰を下ろし、楽しそうにシロップをかけ、生クリームをのせてパンケーキを頬張るオーエンを見守る。しばらく夢中になって食べていたが、ミスラの視線に気づき、オーエンは憮然とした表情に戻る。
「何見てるの」
「ずいぶんとご機嫌なので。さっき怒っていたのはなんでだったんですか」
「さっきも言った。当ててみなよ」
 どうせわからないだろうけど、とオーエンはせせわらう。ミスラは昨夜の情事の記憶をたどる。
 彼の様子が変わったのは水が欲しいと伝えたあたりだろうか。その言葉を聞いて、深々とため息をついた後、彼はひとりごとのようにつぶやいていた。
『勘違いなんかして、馬鹿みたいだ』
 彼が勘違いするようなことを自分はしただろうか。自分がしたことは、欲しいと言って水がある方へ手を伸ばしたことくらいだ。そういえば、自分は何が欲しいのかはっきり言っただろうか。言っていない。そしてそれを聞いた彼は自分に水ではなく何を与えたか。
「わからないでしょ」
「いえ、なんとなくですが」
「ふうん」
 言ってみたら、と促され、ミスラは推測を口にした。
「俺があなたではなく、水を欲しがったからですか?」
 フォークがパンケーキを突き抜けて皿に当たり、カチャンと音を立てた。不機嫌そうに睨みつけてくるのを気にせずミスラは続ける。
「勘違いしたというのは、俺があなたを欲しがっていたと思ったと」
「うるさい」
「あのときは水が一番欲しかったですけど、ちゃんとあなたのことも欲しいと思っていましたよ」
「言い訳は聞きたくない」
 その言葉ではミスラの推測を肯定しているようなものである。そう指摘しようと開いた口に、オーエンはフォークに刺したパンケーキを突っ込んだ。生クリーム、シロップ、砂糖などとにかく甘いものでトッピングされたそれは、オーエンにとっては心躍るものでも、ミスラからすれば胸焼けして苦しいものでしかない。あまりの甘さに顔をしかめたミスラを見て、オーエンの口にはたのしげな笑みが浮かぶ。
「どう?」
「甘すぎて気持ちが悪いです。口直しが欲しいくらいですよ」
 とはいえテーブルの上に口直しができるようなものはない。甘さがさらに上乗せされるものばかりだ。ため息をついたところで残る甘さは消えない。そんな中、オーエンは立ち上がり、ミスラのもとへ近づいていく。ミスラの唇に指を這わせ、互いの吐息が重なるほどに顔を近づける。
「口直し、いる?」
 何を口直しにするのかはっきりと言わないが、簡単に口付けられる距離から察することはできた。ミスラはうっとうしげにオーエンの手を払う。
「いらないです」
 オーエンの口の中はミスラ以上に甘くなっているに違いない。口直しにはならないだろう。
 しかし、いらないと言っているのにもかかわらず、オーエンはミスラから離れようとしない。それどころか口付けて、舌で自分勝手に中を荒らしまわる。オーエンがすっかり満足して解放した頃には、ミスラは疲れ切っていた。
「いらないって言ったじゃないですか」
「だから何? おまえは欲しくなかっただろうけど、僕は欲しかった」
 その言葉は昨夜のことも指しているようにも聞こえた。
「僕が満足するまであげるから、受け取りなよ」 
 そう言ってオーエンは貪るように口付けた。

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