フライデーナイト(アベ穹※現パロ)

 金曜日の夜は自宅で彼と酒を飲む。
 他愛のない話をして、時に愛を語らう。
 最近のふたりの恒例行事だ。
 けれど今夜はそうじゃない。
『会食が入ってしまってね。遅くなるかもしれないから、早く寝ていて』
 穹はいい子でうなずいた。
 彼は嘘をつかないから。
 つかないのに。
「……どうして?」
 どうして、彼は繁華街を歩いているのだろう。
 女性を連れて、ぴたりと互いにくっついて。
 穹の視線に気づくわけもなく、彼らは奥へ奥へと歩いていく。
 彼らの背中は遠ざかっていく。
『今日は会食だから』
 大人にはいろいろな事情があるのだろう。学生の自分とは違って。
 そうして穹はいい子で頷こうとして。
「……嘘つき」
 そうつぶやいた。

 金曜夜の繁華街はいつも以上ににぎわっている。通りに面した居酒屋ではあちらこちらで注文が飛び交い、機嫌をよくした人々の笑い声が響く。まるでこの世に憂いなどないかのように。しかし奥にある個室だけはしんと静まり返っていた。
 店員は不審に思い、その個室の戸を開けた。お客さんが入っていなかったのかと思ったのである。開けるとそこには頭を抱える男子学生四人の姿があった。この世の憂いをかき集めたかのような重い空気が満ちていた。店員はすぐさま戸を閉めて慌てて去っていく。
「どうしてだ……どうして……」
「俺たちはどうして男子四人で飲まなきゃいけないんだ……」
 テーブルには八人分の食事が並べられている。当初の予定では女子四人も来る予定だった。女子の中でも親しい仲の子を呼んで、楽しく飲もうとしていただけなのに。
 そこに下心は多分ないのに。
 当日女子参加者、ゼロ。
 理由。
『他の飲み会とかぶった』
『行けそうだったけど無理だった』
『先輩からの誘いだから断りにくい』
『ごめん♡』
「じゃあ俺の誘いは断っていいってことですかあ!?」
「友情を信じてたのは俺だけですか!?」
「謝るのに︎ハートマークはいらないよなあ!?」
「てかせめてもっとうまく断って!?」
 各々が魂の叫びを放ったのち、部屋は再び静かになる。そんな中、メッセージの通知音が鳴った。幹事である男子のスマホであった。
「……穹か」
 穹。イケメンだというのにクレイジーな友人。ゴミ箱を心から愛する男。そして自らを美少女を称する男。交友関係は広く、異性の友人も多い男。
「……ハッ!」
 救世主、現れり。
 男子はすぐさま彼に電話をかける。
「穹っ! いいところに! 飲み代は出さなくていい! お前のツテが必要だ! ひとりでもいい! 女子(びしょうじょ)を連れてきてくれ!」

 三十分後。
「呼ばれたから来たぞ、大学一の美少女、穹くんだ。おばんです」
「美少女かぁ!!」
「お前ひとりって解釈したかぁ!!」
「やべえ言葉足りなかったっ!!」
「今からでもいい女子を連れてこれないか!?」
「ああ、声はかけたんだけど、なのは忙しいっていうし、ホタルは銀狼たちとお泊まり会するっていうから無理だった」
「声かけてくれてた!」
「した上でだった!!」
「ありがとう!!」
「どういたしまして。注文していいか? 生一丁」
「生一丁!」
 女子が来るという期待からテンションが急に上がり、四人はビールなどを注文して先に乾杯をしていた。しかし現れたのは男子(びしょうじょ)ひとり。なおもテンションは上がっているがヤケクソであった。こうなったら飲むしかないのである。ぐびぐびとビールを飲み、サラダを盛り、肉を食らう彼らの瞳にはきらりと涙が光っていた。
 そんな中、穹は言葉少なにビールを飲んでいく。食べるものは食べず、ただ酒を飲んでいく。そのペースはいつもより早い。あっという間にグラスやジョッキは空になっていく。そのことに気づいたのは幹部の男子だった。手を止めて穹に声をかける。
「なんか穹、いつもと違うな?」
「そうか?」
「そうだ。いつもは結構ゆっくり飲むよな? 酒弱いんだし、こんなペースで飲んだらお前倒れるぞ」
「倒れたっていい」
 そんなことを言い出す穹からビールを取り上げれば、不満げに男子を睨んでくる。男子はそんな視線に怯まず、グラスに水を注いで穹に押しつけた。
「倒れたら大変だろうが。お前も俺たちも。心配する人も多いだろ。なんだってそう無理をするんだ」
「……俺だって、ヤケクソで飲みたくなる日もある」
 そう言って穹は水を一気に飲み干した。
「会食だって言ってたのに、知らない奴と繁華街を仲良さそうに歩いてるの見たら、すごい嫌になって、嘘つかれたって思って」
 ヤケクソになった、と穹はこぼす。そんなことを聞いて男子は目を丸くする。ヤケクソというよりヤキモチだ。穹がそんな感情を持っていたとは、と目が飛び出そうな気さえした。
「穹にも好きな奴がいたのか」
「いるよ。一緒に暮らしてる」
「え、恋人じゃん……そんなの知らなかった……」
「言ってないし、言いたくないからな。とられるの嫌だし」
「そうかあ……なんか大変だな、お前も。じゃあ今日はとことん飲むか」
 そう言って男子が穹の肩を抱こうとしたその瞬間、ぴしゃんと音を立てて個室の戸が開いた。
「見つけた」
 姿を見せたのは異様に顔のいい、金髪が印象的なスーツ姿の男だ。
「迎えに来たよ、穹くん」
 突如現れたイケメンに男子四人の思いはひとつ。
(どちら様!?)
 年若いが社会人ではあるだろう。明らかに高いスーツに身を包んだ男は穹に笑いかける。しかし穹は顔をしかめて視線をそらす。
「どうやって来たんだ、アベンチュリン」
 どうやら彼は穹の知り合いらしかった。
「それはもちろん位置情報……じゃなくて、勘、かな?」
(位置情報って言った?)
 とんでもない知り合いらしかった。
 戸惑いを隠せない周囲を気にせず、ふたりの会話は続いていく。
「来てもよかったのか」
「会食が終わったからね。金曜の夜は君とゆっくり過ごす時間だ」
「嘘。知ってるからな。女の人と歩いてただろ。仲良さそうにさ」
「僕を見かけたいのかい? 声をかけてくれたらよかったのに」
「邪魔しちゃ悪いだろ」
「邪魔して欲しかったな。捕まって大変だったんだ。取引先の人だから無理矢理に逃げるわけにもいかなくてね。まあ、結果的に振り切って来たわけだけど」
 そろそろ帰ろうと男は個室に上がり、穹に近づいて来た。彼の手を引いて立ち上がらせ、ふらりと倒れそうになる穹を危なげなく支えてみせる。
「ひとりで歩ける」
「僕はふたりで歩きたいな」
 穹の肩を抱き、腰も抱き、男は穹を連れ出していく。そして思い出したかのように男は封筒をテーブルに置いていく。
「飲み代は出していくよ。これからも穹くんを、僕の恋人と仲良くしてね」
 そう言い残し、あっけに取られる男子たちに背を向けて、ふたりは居酒屋を後にした。

 金曜の夜はまだまだ終わらない。繁華街は多くの人が行き交っている。タクシーが来るまでふたりはぴたりとくっついて待っている。周囲の視線を集めながらもふたりは離れない。そろそろ来る時間かな、とアベンチュリンが思っていると、穹がぽつりとつぶやいた。
「臭い」
「え」
「混ざって、嫌な匂いがする」
「女性のものが移ったかな。シャワーを浴びないと」
「お前の匂いがない」
「相当強かったからね……」
「浮気の弁明なら今は受け付ける」
「浮気じゃないよ」
「嘘つき。会食って言ってたのに繁華街を歩くのはおかしい」
「そのまま引きずり込まれてね……振り切らないと食べられそうだったよ。いろいろな意味で」
「……嘘ついてない?」
「ついていないよ」
「そう……」
 ちょうどタクシーがやって来た。ふたりはそれに乗って帰路につく。タクシーはたちまち繁華街から離れていく。長い一日だったとアベンチュリンはため息をついた。あの厄介な女性を押しつけてきた部下をどうしてやろうか、と思っていると、またしても穹がぽつりとつぶやいた。
「俺、いい子じゃないから」
「え?」
「聞き分けがなくて、我慢できない、わるい子だから」
「穹くん?」
「ごめん、お前は嘘をつかないのに、知ってるのに、お前の全部を今は信じられない。違う、俺が嫌な気持ちでいるだけで……わからない……」
 首を傾げながら穹は吐露する。アベンチュリンの腕をぎゅうと抱きしめて、顔をしかめた。
「お前があの女の人と歩いてたの、嫌だ。違うってわかってるのに浮気したって思うし、この匂いが嫌だ……ぐるぐるする。この気持ちは何? ぐるぐるするのは何?」
 お前といるようになってから、わからないことが増えた。
「穹くん」
「……てか、気持ち悪い。やばい、吐くかも……」
「えっ!? 待ってくださいお客さん! もうちょっとですからね!?」
「落ち着いて穹くん!」
 車内はにわかに騒がしくなった。

 数時間後。
「穹くん、落ち着いたかい?」
「……なんとか。酔いも覚めた」
「おや、酔ってたのかい?」
 ふたりの自宅に着き、諸々の飲み会後の後始末や処理を終えた後、穹はベッドでぐったりと仰向けになっていた。そんな彼の頭をアベンチュリンは労うように撫でてやる。
 時計は二十三時。金曜日の夜はそろそろ終わりを迎えようとしている。
 金曜日の夜は自宅で彼と酒を飲む。
 他愛のない話をして、時に愛を語らう。
 最近のふたりの恒例行事だ。
「ふたりで飲み直すかい?」
「これ以上飲んだらやばい。やめとく」
「そう、じゃあ」
 アベンチュリンは穹の頬や額に口づけて誘いかける。
「愛でも語らおうか?」
「……今日は無理。まだあの匂いがするから」
「……それは残念」
 ひどく残念がるアベンチュリンに穹は慌てた様子を見せた。
「いや、なんか……したくないわけではないんだけど! なんというか……その……俺もマーキングしたくなるかもしれないというか、負けたくないというか……その、背中に爪を立てたくなるかもしれないというか……え、俺何言ってんだろ……って、何笑ってんだ! アベンチュリン!」
「いや……可愛いと思ってね……!」
 穹を抱きしめてアベンチュリンは笑う。
『ぐるぐるする。この気持ちは何? ぐるぐるするのは何?』
 それはヤキモチというもの。
 そんな慣れない感情に振り回されて戸惑う彼が、申し訳ないことに可愛いと思ってしまった。
「俺は真剣なんだからな! アベンチュリン!」
「ごめん、でも僕もね!」
 君への愛しさがあふれそうなんだ!
 やがてふたりは抱きしめ合い、笑い合い、口づけ合い、愛を語らい合う。
 そして金曜日の夜は終わりを迎えた。

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