いとしきものよ(アベ穹)

 いとしきものよ。
 おまえをなにでつつもうか。

 ゆらゆらと、時折ふわりと、キャンドルに灯された小さな火が揺れている。
 キャンドルからはシトラスの香り。部屋の中は爽やかな香りに包まれていた。そんな中、物憂げな表情でアベンチュリンはキャンドルの火を見つめている。
 今日は生と死と境界が曖昧になる日。
 生者も死者も行き交う日。
 故に火を焚いて、親しかったひとびとの魂を招く日。
 ここにはそういった風習があるんですよ、と説明をされて、アベンチュリンはキャンドルをひとつ渡された。ホテルからのサービスだそうだ。リラックス効果もあるので、寝る前にぜひ、と言われて、アベンチュリンはこうしてキャンドルを焚いている。
 重要な案件は今日で終わった。おかげで少しは気を緩められる。もちろんちょっとした仕事が残ってはいるが、気を張るほどでもない。
 自分以外の誰もいない、静かな部屋の中、アベンチュリンはぽつりとつぶやいた。
「……僕を見つけてくれるかな」
 ここにいるよ、というつぶやきは、揺れるキャンドルの火は、彼方へ届くだろうか。
(届くわけないか)
 死者の魂が帰ってくるなんてものは幻想、所詮は残された人々の一方的な願いでしかない。
 アベンチュリンは火を吹き消してベッドから腰を上げた。そろそろ寝よう。部屋の電気を消そうとドアの前まで歩いていくと、突如ドンドンドン、と外からドアを叩かれた。眉をひそめてアベンチュリンは外の様子をうかがう。いたずらか、それともホテルのスタッフか。警戒するアベンチュリンの耳に聞こえてきたのは、大変無邪気な声だった。
「もしもしアベンチュリン! 俺、銀河打者! 今、お前が予約した部屋の前にいる! 開けて!」
「え?」
 予想外の来訪にアベンチュリンは目を丸くした。なぜここに? なぜここが? 彼には案件中は何も連絡していなかったのだが、どうして。あーけーろ、と声が聞こえてきて、アベンチュリンは慌ててドアを開けると、白いものが視界に飛び込んできた。
「ばあ!」
「わっ!?」
「ふふん、驚いたなアベンチュリン。さあ! お菓子を差し出せ!」
 ドアの前に立っていたのは白いスーツのような布を被ったもの。雑に描かれた大きな目と口がかわいらしくもなんだか不気味だ。お菓子! と騒ぐそれをまじまじと見つめ、アベンチュリンは問う。
「その声……穹くんなのかい……?」
「その通り! 皆の銀河打者、穹くんだ! とう!」
 被っていた白い布を豪快に脱ぎ捨てると、見慣れたいつもの穹の姿が現れた。アベンチュリンは穹の手を引いて彼を部屋に入れる。ドアを後ろ手で閉め、大きくため息をついた。
「ええと……何から聞けばいいのかな……そうだな、どうしてここに?」
「もちろんお前が俺にやってる位置情報を逆手に……じゃなくて、えーと、たまたま! たまたま見つけた!」
「そういうことにしておくよ」
 バレてしまったか、と内心ぼやきつつ、アベンチュリンはさらに穹に問う。
「その白い布は?」
「依頼人にもらった。今日は生と死の境目が曖昧になるから、おばけの仮装をして身を守るっていう風習があるらしくって。火も焚くって言ってたか? 忘れた。で! 子どもたちはお菓子をもらえる日でもあるらしいから、アベンチュリンにもらいに来た!」
 ほら、俺、子どもだろ、と穹は胸を張る。
「というわけでお菓子ください」
「……ごめん、仕事で忙しくてお菓子はないんだ」
「ふーん、わかったじゃあな」
「お茶は! お茶は出せるよ!! 紅茶があるよ!!」
「冗談冗談」
 引きとめるアベンチュリンの言葉に穹は笑う。
「ほんとは今夜泊まるつもりで来た」
 そう告げてアベンチュリンに抱きつき、穹は必死な彼の頬に口づけをしてやった。

「なんかいい匂いする」
 部屋で紅茶を飲んでいた穹はそう言って顔を上げた。香水とは違うよな、と話す彼にアベンチュリンはこれ匂いだね、とキャンドルを持ち上げてみせた。
「さっきまで焚いていたからね」
「焚いてたのか。眠れないのか?」
「え? ……いや、ああ、そうじゃなくて、今日はキャンドルを焚く日なんだ。帰ってくる死者のための目印としてらしいね」
「消してよかったのか?」
「いいんだよ。もう寝ようとしていたし、このいい匂いに包まれて、今日はよく眠れそうだ。おやすみ」
 案じるような、探るような穹の視線から逃れるように、アベンチュリンはベッドに横になる。彼から背を向けて、目を閉じた。
 するとカップをテーブルに置いた音がして、ぎいとベッドが鳴った。そしてアベンチュリンの背中は、身体は、温かな感触に包まれた。目を開けて見やれば、穹がアベンチュリンを背中側から抱きしめている。
「穹くん」
「抱きしめ返してもいいぞ。抱き心地には自信がある」
「穹くん……」
「甘えたっていいのに、すがったっていいのに、情けない姿を見せたっていいのに、どうしてお前はいつだってかっこいいんだろうな。俺は、頼りにならない?」
「そんなことはないよ」
「じゃあ抱き返してこいよ。そんなことないって言うならさ」
 穹はアベンチュリンから離れて身体を起こした。アベンチュリンもゆっくりと起き上がり、ふたりはしばし見つめ合う。ほら、と穹は腕を広げて受け入れ準備は万全だと示してみせると、アベンチュリンは恐る恐るといったように穹に手を伸ばし、その身体を抱きしめる。
「君は温かいね」
「まあ、星核抱えてるからな」
「……穹くん」
「なんだ?」
「来てくれてありがとう」
「うん」
「見つけてくれてありがとう」
 そう告げてアベンチュリンは目を閉じた。穹はアベンチュリンの言葉に首を傾げつつ、彼の背中をよしよしと撫でた。
 
 いとしきものよ。
 おまえはいまあいにつつまれている。

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